通りすがりの自転車のお話でもって、

縄文土器にはシンブルなものから装飾性豊かなものまであって…てなことに思い至りましたのは

つい先日に東京都埋蔵文化財調査センターを訪ねたからでもありましょうね。

 

東京都埋蔵文化財調査センターを訪ねたというお話のところでは

企画展「現場のミカタ」にしか触れておりませんでしたので、この際常設展示を振り返って

先史時代の時代変遷などを出土物から顧みておこうと思った次第です。

 

 

多摩ニュータウンのあたりにヒトが暮らし始めたのは、今から3万2千年ほど前の

後期旧石器時代であったそうで、その頃の出土品がもっとも古いものとなるようです。

 


土器はありませんので、当然にして石器ばかり。ですが、見る限りではこれを土中から「発見!」するのは

それなりの眼を持たないと難しそう。そこらの瓦礫と区別がつかないような…。

 

 

後期旧石器時代も末頃の2万年前くらいになりますと、氷河期が終わって暖かくなってきたそうな。

石器は石を打ち付けたりして作るだけとえばだけですが、暖かくなると手仕事も進むのか、

土を捻って土器づくりという発想も出てくることになるのかもしれませんですね。

つまり、縄文時代の草創期でもあるという位置づけです。

 

 

だだし、展示物は土器といっても左下に欠片が見られるだけで、主なものは石器。

古い時代ですからやむを得ないものと思いますが、一方で石器のほうは最初の画像で見たものより

格段に細工されていることが分かりますですね。右上の矢じりなど、作り込んでありますものね。

 

 

さて、縄文時代早期となりまして、いよいよ土器の出番です。

それ以前に続いていた地球規模の火山活動も落ち着きを見せ、気候はいちだんと温暖になったそうな。

ますます手仕事環境が整っていったこということでしょうか。それでもまだまだ素朴な土器ですね。

 

 

縄目の模様も至ってシンプル。形も朴訥とした雰囲気で、洗練とはいかないものです。

平底になっていないのは、置いて使うよりも地面に突き刺して立たせる方向だったのでしょうか。

 

 

これが「縄文海進」という言葉で知られる海面上昇がみられた縄文前期(ざっくり6,000年くらい前)になりますと、

土器の形状の点でも機能性の向上が見られるような(現代人の目から見てですけれど)。

 

 

さらに時代を進めて縄文時代中期前半(ざっくり5,000年くらい前)には、

土器に装飾性の高まりが見てとれますですね。実用性から考えると、「いらないんじゃね」とも思えるような。

火焔型土器として知られる芸術作品のような土器も、だいたいこの時期のもののようです。

縄文文化の盛りの時期なのかもしれませんですね。

 

 

ではありますが、縄文時代中期後半(ざっくり4,500年くらい前)の土器はまた落ち着いてくるような。

そして、縄文時代も後期となりますと(ざっくり4,000~3,000年くらい前)、もうひと花といったふうでもあり。

 

 

この後、関東・東北地方に縄文時代晩期と言われる時期が残りつつ、

弥生時代へと移行していくわけですが、弥生の土器はどうもつるっとしていて、目にとまりにくいですなあ。

 

 

解説には「米作りがはじまった頃」とされていますけれど、

すでに縄文と言われる時期でも稲作が行われていたとは知られてきておりますですね。

それだけに縄文と弥生という時代の交代劇は非常に気になるところではなかろうかと。

これが瞬間的に起こったはずもなく、両者を担う人々のせめぎ合いが列島のあちこちであったことでしょうし。

 

一方で、土器のつるっと感ばかりではありませんが、縄文の注目され方に比べて弥生は話題にならないような。

天邪鬼なたちとしては、弥生にも少々肩入れしたくなる気にもなるところです。

 

と、東京都埋蔵文化財センターの展示はさらに、古墳時代、奈良時代…と続き、

江戸時代にまで至りますけれど、だんだんと欠けた瀬戸物などが出土品と言われても…という気にはなろうかと。

ですので、取りあえずは先史時代、それも1万年も続いたといわれる縄文時代を顧みることで

良しとしておくことにいたしましょう。