もともと立川(の辺鄙な場所)にあった東京都立多摩図書館が西国分寺に移転してから
一度も出かけたことがなかったのものですから、ちょいと出向いてみたのでありますよ。
図書館でもあれこれの展示が企画されることがありますけれど、訪ねたときには
「あの人を知るための扉 絵本と児童文学の作家についての120冊」という展示を開催中。
そして、折しも関連イベントとして「本を通して、子供たちに数々の楽しい世界を伝えた
石井桃子さんの活動を紹介するドキュメンタリー」が上映されるところでしたので、
見て来たような次第でございます。
2018年は石井桃子の没後10年だそうですけれど、10年前まで生きていたんだ…という思い。
何しろあれこれの子どもの本で名前を見かけ、しかもその本というのは
ロングセラーとなっているものばかりなだけに、昔の人という印象があったわけで。
それにしても、何かしらの児童書を手に取ったことのある子どもにとって
石井桃子のお世話にならなかった人はいないのではないかと思いますね。
「ノンちゃん雲に乗る」などの創作、「くまのプーさん」や「ピーターラビット」などの翻訳、
そして直接的に名前は出てきませんが編集を手掛けた児童書は数知れずですから。
そうした児童書のプロフェッショナルではありますけれど、
子供に求められる本というのを見い出しあぐね、自宅の一部を使って「かつら文庫」という
子供向けの私設図書館を開設、その活動を行ったようすが映画では紹介されたのですね。
子どもが自ら発見し、夢中になる本はどういうものなのか。
これは大人感覚とははなかなかにずれが生じるところでありましょうし。
語り聞かせなども通じて、子どもたちの反応を見る。映像に映し出された子どもが
物語に完全に釣り込まれてしまっている忘我の表情はすごいですなあ。
そんな活動も通して、子どもを惹きつけるもののひとつとして
「何々だったとさ」という語り口で書かれることの多い昔話、おとぎ話にたどりつくのですな。
ですが、頼るべきは単に話の内容ではなくして、話に用いられる言葉遣いや言い回し、
これを実に実に丹念に検討して「これぞ」というものを見つけ出す努力をしています。
昔話というと明治以降の日本では何かと教訓色を付加してしまい、
ともすると修身の教科書であるかのようなお話にしてしまっていたのを
石井たちは再話という形で組み直し、子どもたちに提供していったわけです。
これの背景にはアメリカの図書館での調査(1950年代ではありますが)として、
子どもたちが読んでほしいとせがむ本の統計を調べたところ、
上位にリストアップされたのはグリムをはじめとして、
採集された民話をまとめた本が多かったということも
「だったとさ」が子どもたちにヒットするものであるとの意識につながったことでありましょう。
とはいえ、日本にはまだ児童書と呼べるようなものがなかった時代に
外国の著作を積極的に紹介もしていきましたですね。
外国の絵本や児童文学にはいわゆる「こどもだまし」ではないものがあったということで。
バージニア・リー・バートンの絵本の紹介などもそうした中のひとつですけれど、
映画上映の後にあった監督のトークの中で面白いエピソードが紹介されていたですよ。
岩波の子どもの本の一冊として「ちいさいおうち」 を出すときのこと。
原作の挿絵をそのまま生かすことを念頭においているものの、
原作本との判型の違いからやむを得ず日本で描き足してしまったところがあるのだとか。
原作本は正方形の判型ながら、岩波子どもの本はシリーズ統一でやや縦長。
これはランドセルに入る大きさを意識していたようですが、ともあれ原作よりも天地が長いので天の部分が裁ち切りになっている部分に絵が必要になってしまったのだそうです。
具体的には、ちいさいおうちの周囲に高層ビルが建ち並んでいく場面で、
原作ではこの高層ビルの高さを表すのに裁ち切りが使われて
絵にはないけれどもっともっと高いと想像させるようになっていますが、
岩波版では縦に長く裁ち切りにできないのでビルの上の方に雲を突き抜けるようすを
描き足してしまったのだとか。「ちいさいおうち」は馴染み深い本なだけに驚きましたなあ。
まあ、そんなこんなで2時間強のイベントで興味深い話を聞いたあと、
入場時に案内されたバックヤードツアー(閉架書庫に入れてくれたりする)にも参加してしまい、
結果的に企画展示をじっくり見る時間が無くなってしまいました。
さほど遠いところではないので、また改めて出かけるとしますかね。
クールシェアにもなりますし(笑)。