またまたランチタイムコンサート@トッパンホールに出かけてまいりました。今回はピアノのソロ・リサイタルでしたなあ。
予定曲目にベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番、ベルクのピアノ・ソナタ、そしてフレデリック・ジェフスキー(1938-2021)という現代作曲家のピアノ曲集『ノース・アメリカン・バラード』から第4曲「ウィンスボロ綿工場のブルース」という3曲が並んで、てっきりベートーヴェンがいわゆるメイン(つまりは最後に演奏される)と思っていたところが、ベートーヴェンは始まりであったのですなあ。どうやら現代音楽を扱うオルレアン国際ピアノコンクール優勝と、奏者はかなり現代音楽指向が強いようすですので、作曲年代を時系列に並べて1820年のベートーヴェン、1907~08年のベルク、1979年のジェフスキーと徐々に現代に向かってくる並びにしたのでもありましょうかね。
ただ、つくづくこの並びが正解だったのであるなと聴きながら。ベートーヴェンのピアノ・ソナタとしては最後から2番目にあたるこの曲、もはやベートーヴェンの即興を誰かが傍で書き取ったのか?とも思える自由さが感じられるのですけれど、その奔放なところがベルクに繋がっていくような気がしたものです。現代音楽の入り口とも思える新ヴィーン楽派のベルクも、このピアノ・ソナタは作品1でして、この段階では尖り方がさほどでもない印象なだけに、「おお、ベートーヴェンは連綿と…」てなふうに聴こえもしたのでありますよ。
そんなふうに、徐々に現代風な耳へと慣らしていきますと、ジェフスキーに至っても過剰反応しないで済んだといいますか。これが逆にジェフスキーから始まっていたらのっけから腰を抜かして、連綿たる音楽史の流れなどに思い至ることもなったでありましょう。何せ、山下洋輔ほどではないにせよ、ピアノが打楽器化してぶっ壊れるのではというくらいに叩くわ、叩くわといった具合ですから。タイトルに「綿工場」とありますけれど、印象としてはもそっと重厚長大系の工場(例えば製鉄の現場とか)が思い浮かぶほどでしたし。
それでも、ああ、ベートーヴェンが源流にあって、音楽史は流れてきたのであるか…と思うだけの余裕が得られたのも、このプログラム、この曲順の故となれば、現代音楽を得意とする(のであろう)ピアニスト大瀧拓哉は、現代音楽を苦手とする聴き手の蒙を啓く工夫をしているのかもしれませんですね。
と、本来のプログラムによるここまでの演奏が終了して、コンサートとしての完結感はあったわけですが、アンコールにJ.S.バッハのアリオーソが出てきて、また考えさせられたりも。ベートーヴェンの前にバッハがいたか!と。
予てバッハの音楽から受ける透徹な印象は冷徹さにもつながるものと(個人的に)思い巡らしているのですけれど、その「冷たさ」「ひややかさ」はドイツ映画『水を抱く女』あたりでも十人分に発揮されておりましたですね。でもって、その冷たい響きは現代音楽との近しさを感じさせもするところではなかろうかと。それだけに、アンコールとしてバッハを持って来たあたり、現代音楽の伝道師として「考えておるのだなあ」と思ったものでありますよ。
実は冬の寒さが募り出した時期にこの曲?と思いかけたりもしましたが、コンサート会場の中が寒いわけでもなんでもありませんので、いわばこたつでぬくまりながらアイスクリームを食べる贅沢、そんな(お門違いな?)ことも想像した演奏会だったのでありました。この冬もまだまだ始まったばかり。楽しみようはいろいろあるということになりましょうかね(笑)。