住まいから最も近い美術館であるたましん歴史・美術館にはたびたび足を運んでおりますが、ちょいと空いた時間にまた訪ねてみたわけでして。吉祥寺美術館ではありませんが、こちらも入館料100円と気軽に立ち寄れるものですから。
そも古陶磁のコレクションを持っているだけに、蔵出し展示でもって古陶磁の並ぶ展覧会が時々開催されまして、今回もまた「東洋古陶磁展 やきもの超入門編」と題する展覧会が開催中でありましたよ。
時々開催される古陶磁展、これにたびたび足を運んでいるとなれば、もはや見慣れた作品もあれこれあるわけですが、作品自体のそのものは不変であるも、毎度のこと、見る側の意識や考え、思いといったところは日々時を過ごしているなりの変化がありますから、当然に見方といいますか、作品を見て思い巡らすところもまた都度都度異なったりするわけですね。
例えば(といってしばらく出向いておりませんが)国立西洋美術館の常設展示室などは何度出かけても見るべきものがあると思うところですし、かつてはブリヂストン美術館にも何度も足を運んだり。もっとも後者はアーティゾン美術館と名称も施設も新しくなって、少々お高くとまるようになってからは(とは、個人の印象です)未だ一度も出かけたことはありませんが…。
と、余談はともあれ「やきもの超入門編」のお話。繰り返し展示されるのは作品ばかりでなくして、展示解説のパネルもまた使いまわし?と、何度も出かけていると妙なところに気付いたりしてしまいますが、今回に気に留めたのは「青」という色のことなのでありますよ。
空の青、海の青(若山牧水ではありませんが…笑)と、ヒトに極めて近いところにある「青」ですけれど、これを人工物で再現するのはなかなかにやっかいだったのでしょうなあ。先に読んだ『広重ぶるう』にもあったように発色のいい「青」を絵に使うのは大変なことであったわけですし、遡ってフェルメールが使ったラピスラズリの貴重さなども思い浮かぶところですね。絵画ばかりか造形においても、人工物として「青」の再現は長きにわたって挑み続けられてきたのでもありましょうかね。
翻って陶磁器作りの話ですが、ことここに至る前段階としては、展示を見ながら磁器には「染付」が多いのだねえと(素人なればこそ?)思ったところにあるわけでして。白磁の上に青(というか、藍というか)で模様が描き込まれている「染付」は、やきものそのものと同様に中国伝来になりますですが、その中国では元の時代、「イスラム圏から輸入されたコバルト顔料を用い」ることで誕生したのであるとか。
日本では後に、染物に擬えてもっぱら「染付」と呼ばれるようですけれど、中国では見た目どおりに「青花」とされる青の描き込みは「14世紀初頭には景徳鎮窯ではじまり」各地に伝えられていったということでして、本展フライヤーの中央に配された「染付」の鍋島焼の色味は、やがて多色のド派手な作品がっ出回るにもせよ、憧れの青の再現として珍重されたのでしょうなあ。憧れの青が出せるようになった喜びがたくさんの「染付」を生み、また求められたところでもあろうかと、そんな思い巡らしをしたのでありますよ。
ただ、個人的には(何度も言及しているような気はしますが)磁器よりも陶器の方が「温かみがあって、ええのぉ」とは思うのですよね。本展でほんの入り口付近に飾られていた、室町時代の作という越前焼の壺などは実に素朴な、いい味わい。焼き締めただけの、いわばぶっきらぼうなところがありますけれど、後に様々に加工技術の発達した陶磁器作りにあっては原点のようなものでもありますが、「焼締」という項目の解説文を目にしますと、まさに一点ものの貴重さを知ることにもなるのですよね。解説文にはこんなふうに。
1200度以上の高温で焼成すると、燃料である薪の灰が降りかかり、灰に含まれる石灰やアルカリなどの成分が、土に含有する長石や珪石と化合して自然釉とな(る)。
この自然釉の味わいが個人的には「たまらん」と思えるところなのでありますよ。焼締による陶器作りは「古墳時代に朝鮮半島から伝わった須恵器を前身とし、12世紀の前半、愛知県の渥美焼と常滑焼から始まった」そうですが、常滑には以前出かけて楽しい旅になりましたので、そのうちにまた日本六古窯のどこかしら訪ねてみましょうかね。好みから言えば、越前焼か備前焼。なんだか楽しみになってきましたですよ。