先に町田市立国際版画美術館の新収蔵作品展を訪ねた折、版画家・黒崎彰による現代版?「近江八景」を見て来たですが、こうした古来ある題材を前にして、作家たちが新たに自分なりの創造を試みたくなるところなのでありましょうかね。思い出したのは、その数日前にTOKYO MX(東京ローカルのTV局です…)の『わたしの芸術劇場』なのですな。俳優・片桐仁(番組では「自らも造形作家として活動する」と紹介されますね。多摩美出身のようで)が、あちこちの美術館・展覧会を訪ねてまわる番組ですけれど、その番組で武蔵野市立吉祥寺美術館の萩原英雄記念室を取り上げた放送回のことが浮かんできたわけです。

 

吉祥寺美術館はとっても小ぢんまりしたスペースながら、それでも企画展会場の他に浜口陽三記念室と萩原英雄記念室という、コレクション作品を常設展示する部屋があるのでして、そのうちで番組が取り上げた萩原英雄記念室では現在のところ「富士をおもう」と題した展示が行われているのでありますよ(会期は3/5まで)。

 

展示の中心は、萩原作品の『三十六富士』というシリーズから12点ほかですけれど、富士の景観を36カ所描き出す…となりますと、どうしたって葛飾北斎の『富嶽三十六景』のオマージュでもあろうかと思うところではなかろうかと。まあ、『近江八景』ほどに一般化した題材ではないものの、古来ある題材を前に新たな創造をしたくなる…というあたりからこちらの番組を思い出し、折をみて吉祥寺に出かけてみるかと思っていたのがようやっと、ということで、やっと今日の話題にたどり着きました(笑)。

 

黒崎作品の『近江八景』では例えば「矢橋の帰帆」など近代的な様相を呈していたわけで、同様に萩原作品の『三十六富士』から「煤煙の彼方に」が番組で紹介されたときにはオリジナルな視点であるなあと思ったなのですね。手前にあるのは新幹線の駅だということですので、おそらくは新富士でしょうか。

 

 

製紙工場が多いあたりで、ヘドロ公害で悪名を馳せた田子の浦(かつては歌枕でしたのにね…)を目の前に、作品の作られた1980年代にはすでにヘドロは払拭されていたかもですが、「煤煙の彼方に」望む富士とは、工場の排ガスは相変わらずだったのでしょうか。ちなみに画中に見える「ヨネキバルブ」という工場は今でも富士市にあるようですなあ。ともあれ美術館を訪ねて、萩原英雄の『三十六富士』を間近で見て来たのでありますよ。

 

山梨生まれという荻原英雄にとって富士山は「常にそこにある」ものでもあったようですけれど、いざ『三十六富士』の創作を思い立ったときには「何をもって『萩原の富士』とするか」で、大いに苦労・苦心があったということで。そりゃあ、北斎のみならずたくさんの画家が富士を描いているわけですから、新たな視点を探し出すのは並大抵ではなかったのでありましょう。

 

本人の言葉に曰く「人が見落とす、写真にならないような富士、それでいて、これぞ富士、というような」姿を追い求めて、「富士桜高原に山荘を建ててそこに暮らしながら、膨大な量の取材とスケッチを積み重ねること二十年」と、展示解説にありましたですよ。その成果は確かに作品に現れているようですありますね。

 

それでも、意図的にか北斎を意識したであろう、こんな一枚もありましたな。構図としては北斎の「尾州不二見原」を思わせますですが、タイトルを「明と暗と」として、明暗のコントラストをも採りこんだものとなっておるわけで。

 

 

また、構図としてはこちらも北斎(というか広重?)を思うところながら、先ほど見た「煤煙の彼方に」に劣らない現代性ある一枚が「ビルの谷間に」ですかね。新宿の高層ビルとその向こうに武蔵野、多摩の広がりがあたかも写真のようですけれど、木版の素朴さが幾分か温かみを与えてもいるような。

 

 

そんなこんな、富士の諸相を描いた作品を見ながら、季節や時間の異なる姿を見出したあたり、もしかして北斎にも優る?とは言いすぎでしょうけれど、久しぶりにポストカードを買ってきてしまいましたよ。画像はそのお裾分けというわけで。それにしても、富士は絵になりますなあ。