ということで、東京・多摩センターにある多摩美術大学美術館に行ってまいりました。
この時期に開館しているだけで「心意気を感じる」とは先に書きましたけれど、
それはともかく開催中であるのは「現代日本画の系譜 タマビDNA」展というものでして、
日本画科の教員から学生へと受け継がれる日本画の世界を「タマビDNA」という言葉で表すのは
いかにも美術大学らしいところではありませんでしょうか。
1929年(昭和4年)に創設された帝国美術学校、ここから1935年(昭和10年)に多摩帝国美術学校が分かれて
こちらが多摩美術大学の前身であると。帝国美術学校の方は武蔵野美術大学の前身ということだそうな。
設立当初から日本画科はあったわけですが、1953年に4年制大学となって以降、
加山又造、横山操、そして堀文子といった画家を教授陣に迎え、そのDNAを形成したきたようでありますね。
昨年秋、湯河原美術館に構えたアトリエを訪ねた平松礼二もタマビで教えていたのですなあ。
ちなみに同じとき、湯河原美術館で企画展が開催されていた伊藤髟耳はタマビの卒業生だったと。
もっとも加山らの着任前でありまして、大学創設時の理事長が日本のグラフィックデザイナーの草分けであった
杉浦非水であったことも関わりましょうか、伊藤の作風が改めて理解できるような気がしたものでありますよ。
今回の展覧会では伊藤作品も1点展示されておりまして、「金華山」と題した3.2m×2.7mの大作では
右下に大きく、まだひょうたんを腰にぶら下げた姿(ではありながら立派な大人ふうの)信長が描かれ、
画面中央の一番高いところには山上の岐阜城が見えているという、同時異図法の絵柄でありましたな。
信長という厳しい人物と険しい山を描いてなお、穏やかな色調とグラフィカルな輪郭線はこの人らしいところ。
館内でさまざまな作品を見るにつけ、これもまた(初期的な)タマビDNAを受け継いでいるのかなと
思ったものでありますよ。
そんなふうに卒業生の作品も興味深いところでありますね。
教授陣の薫陶よろしく?かなり濃い受け継ぎ方をしていると思われるものもあれば、
一見、突然変異か?!と思える中に下地をよおく見れば「ふむふむ、やはりDNAが…」と思うものもあり。
杉田悠介の作品「山」という作品は、損保ジャパン日本興亜美術館(現・SOMPO美術館)が主催する公募展で
優秀賞を受賞したということですけれど、アクリル絵具を使って「日本画?」と惑うところはともかくも、
真っ白に雪を被った山肌にあるうねりも、山上にそのまま続く白い雲との境となる稜線も
全く輪郭線は描かれていませんのに、確かに雲との境も山腹に広がる草原の起伏も感じ取れるのですよねえ。
表現とは何とも面白いものです。
と、あれこれ見る中でやはりどうしても目が離せなくなるのは加山又造作品なのでありました。
展示されていたのは展覧会フライヤーにも部分が使われている「雪月花」という作品ですけれど、
波濤の先端として線状に置かれた銀箔には見入るばかり。
全般的にはいぶし銀的な渋さのイメージである一方で、左側の山肌の中に
隠された?光が見えたときには「おお!」と唸ってしまいそうにも。
とまれ、世の中の現在をすっかり忘れて静かに美術作品と向き合うひとときが
なんと人の心を潤すものであるかと、緊急事態宣言後に久しぶりに訪ねた美術館で改めて。
「ロックダウン」ともなればとやかく言う余地はないのかもしれませんけれど、
劇場やイベントOK、映画館や美術館はNOというちぐはぐさに何の説明もないところに
東京のミニシアターでは反逆(とは不穏当な言葉ですが)が始まっておりますな。
「感染対策を徹底した上で営業を再開しております」と。
果たして美術館の動きやいかに…と思う所でもありますよ。