この間「奇跡の地球物語」で紹介されていた色の話はなかなか興味深かったですなぁ。
ちと後から調べたところも加味して書いてしまいますが、
動物が色を感知する細胞には種類があって、
基本的にヒトは青、赤、緑を捉える3種の細胞があるのだとか。
これでもって普通のヒトが普通に見えている世界が現出するわけですが、
哺乳類の多く(どうやらヒトも含めた霊長類は除くらしい)はこの細胞がひとつ足りないらしい。
簡単に言ってしまうと、ヒトの感覚から言えば色盲状態なわけで、個人的に色覚の観点から言うと
「霊長類でなくして、その他の哺乳類のような色覚なのだな」と思ったわけです。
ま、ウシやウマ、イヌやネコが見ている世界を見ているとも思わないですけれど。
一方で、鳥類は色を感知する細胞が4種類あって、
ヒトには見えない紫外線のようなところまで見えているそうなんですが、
これまたどんなふうに見えているのですかねえ。
ところで、見え方ではなくして見られ方の方ですが、
動物にはさまざまな色合いの体色がありますけれど、
だいたいからして体そのものに見えているとおりの色素をもっていると考えるのが
自然ではないかと。
多くはその通りらしいですが、
どうやら「青」に限っては体そのものに青い色素を持つということができない(できにくい)らしい。
そこで、青い動物の代表選手として紹介されたカワセミや
翅の表面が青く輝いているモルフォ蝶などがどうして青いのかといいますと、
光の中でも青の波長だけを主に跳ね返せるような特殊な構造を体表面に持っているそうな。
ですから、体に青い色素がなくても青く見えると。
という具合に、見えている世界というのも
ヒトが見た場合と他の動物が見た場合に違うものであるということもあり、
見えている色というのがそのもの本来の色とは限らないということもあり、
なかなかに不思議世界であるわけですね。
突き詰めると、見えている世界というのは実は厳然としてある世界ではなくして、
見えてることで厳然としてあるようにヒトが思いこんでいるだけの虚構の世界である…
てなことになって、哲学の世界に入りこんでしまいますから、
ここではそこまで立ち入らないことにして、展覧会のお話であります。
絵をどのように見るのかははっきりいって好き勝手でいいと思っとりますが、
それでもついつい作品から何かしらを読み取ろうとしてしまいがちな
ところがあります(個人的見解かもですが)。
そこへ持ってきて、今ブリヂストン美術館で開催中の展覧会タイトルは
「色を見る、色を楽しむ。」というもの。
作品に接すると、
その色合いから「鮮やか」だとか「くすんだ」とかあれこれ思うことはありますけれど、
果たして「色」そのものに目を向けて作品と相対していたかとなると、
そうでもなかったなぁと思うのでありますよ。
そういう点で象徴的なこと(とは大袈裟ですが)と思われますのが、
ちょうど訪れたときにやっていて耳を傾けたギャラリートークから漏れ聴こえてきたことでして、
「ピカソは、色遣いでは余り冒険していない」というあたり。
印象派の誕生以降、光と色の関わりには多くの画家が目を向けることになって、
技術的にはスーラの点描や感覚的には大胆な色遣いのフォーヴィスムが登場してきたりしますが、
その延長にある時期にピカソが試みたのはキュビスムという色遣いとは別の世界でありましたね。
言われてみれば「なるほど」と、
マティスの作品とピカソの作品と見比べて思うところでありました。
ピカソは、こんな言葉を残しているようです。
実際、われわれはごくわずかな色で制作する。もし多くの色が使われているという錯覚を抱かせるとすれば、その限られた色がそれぞれ的確な場所に置かれているためであろう。
みずからが「ごくわずかな色で制作する」と言っているのですね。
そうした側面を、いかに気にかけていなかったか、我ながら「見えてねえなぁ」と。
その一方、マティスが言っているのはこんな言葉です。
音楽家が楽器の音色と強さを選ぶように、画家は自分にぴったりするような強さと深さで色を選びます。色彩はデッサンを支配するのではなく、それに折り合うのです。
マティスの色に対するこだわりを窺わせるようではありませんか。
本展の目玉のひとつでフライヤーにも使われているマティスの連作「ジャズ」にしても、
病いから絵筆を取れなくなったマティスが切り紙絵で制作したものがオリジナルですけれど、
版画として複製するにあたってはどうしても切り紙絵オリジナルの色が出ないことを
マティスは気にしていたそうです。
結局のところは、そもそも切り紙絵の制作用に弟子が白紙に塗った絵具を使い、
ステンシルで作りだしたのが「ジャズ」連作であったそうなのですよ。
ちなみに「ジャズ」というタイトルながら、描き出されているものの多くはサーカスに因んだもので、
実際に2点目には「CIRQUE」という文字も見られます。
候補としても「サーカス」というタイトルが検討されたようですけれど、
色紙を切って「即興的な動きのある色とかたちを表現」する行為そのものを
「ジャズ」の即興性に擬えてタイトルが決まったとか。
まあ、比較の問題ですが、確かにピカソとマティスを交互に見ると音楽をイメージできるのは
マティスの方ということになりましょうね。
とまれ、いまさらながら改めて「色」にも焦点を当てて見てみるとしよう…こんなふうに思った
展覧会でありました。