大阪・高槻市の今城塚古代歴史館を訪ねて、そのまま今城塚古墳の話に行かないのもご愛敬かと。展示解説に関わるあたり、あとでまた書き継ぐといたしまして、ここでは歴史館の展示の中に「三島(古墳群)最古の古墳」と紹介されていた安満宮山古墳へ出かけたことを。

 

阪急高槻市駅前からバスに乗ってしばし、だんだんと山の端が近づいてきて、目の前には阪神高速が通っているあたり、磐手橋というバス停で下車しまして、

バス停の奥に見えている稜線が右側方向へ続いた先、山の中腹にあるという古墳を目指すことに(ちなみにこの写真にあるのは高槻市内へ向かうバス停です)。

 

 

案内によれば徒歩約25分と。予想しないではなかったですが、ひたすら登って行くことになろうとは。今となっては夏がいずこに?ですけれど、訪ねたときには蒸し暑さ最高潮でして汗みずくの登山となりましたですよ。

 

しかしまあ、古墳のあるところが今では公園墓地となっているとは。墓地を作りたくなる場所への意識というのは古今を問わずなのでもありましょうか。安満宮山古墳は3世紀半ばに造られて極端に古いものの、この地にはその後の「6世紀後半から7世紀にかけて築造された」という大規模な群集墳が「安満山古墳群」として残されているそうな。

 

 

そんな群集墳のひとつが、宮山古墳に至る道脇にある「安満山A1号墳」であるということで。この場所でもすでに結構登って来た感ありと、背景から察していただけようかと。ともあれ、A1号墳は直径約12mの円墳だというだということなのですが、案内に従って階段を下っていってもどうも判然とせず、「これかぁ…?」という感じ。ま、主目的ではないのでいいですけれど…。

 

 

いささかの寄り道の後にさらに登り詰めていきますと、ようやくに安満宮山古墳へと到着。さすが、A1号墳とな扱いが違いますなあ。赤い標柱があたかも神社の入り口を想起させるような。

 

 

木立の間を抜けてみれば、いやあ、何とも見晴らしのいいテラスになっているではありませんか。全く古墳に興味が無い方でも、大阪平野を見渡す展望台として絶好の場所なのではと思ったりも(まあ、車で来ない限りは25分ほど登ることにはなりますが…)。

 

 

ちなみにこの安満宮山古墳、先に今城塚古代歴史館の解説に「前方後円墳が出現する直前の3世紀半頃、邪馬台国の時代に造られた」とされるだけに、長方墳という変わった形であったそうな。手前にある円形の解説板(出土した銅鏡を象っているのでしょうか)の向こうにガラスシェルターが見えていますが、その長方形の形のまま、その上に盛土があったかもしれませんですね。

 

 

 

「ガラスシェルター内には精密な複製で埋葬の様子を再現」と高槻市HPにはあるも、折しも雨が降ったりやんだりで蒸し暑い最中、内側からすっかりガラスが曇ってしまって何とも見透しにくい状況でありましたよ。とはいえ、実際にはこの場所から5面の銅鏡その他が発掘されていて、銅鏡のうちのひとつには魏の年号を用いた「青龍三年」と刻まれているのが見てとれるのだとか。

 

 

この銅鏡に関わるあたり、解説板の説明から少々引いておくといたしましょう。

『魏志倭人伝』には、景初三年(239)6月に倭国の外交使節団が邪馬台国を出発、12月に魏の都・洛陽に到着。皇帝から「親魏倭王」の印綬とともに「銅鏡百枚」などを賜った、と記されています。安満宮山古墳の1号鏡、2号鏡、5号鏡の3面はその一部と考えられ、「銅鏡百枚」の実体に迫る画期的な発見です。

つまりは倭国の代表として(?)邪馬台国派遣の使節団が持ち帰った銅鏡100枚の一部を、安満を地域にあった豪族の長が卑弥呼から授けられたということ、安満宮山古墳はその首長墓であるということではなかろうかと。邪馬台国や卑弥呼は、記紀神話とは別系統であって、むしろ歴史的事実の方に寄った存在かもしれませんけれど、それでも卑弥呼と聞けば神話世界の人物であるかように思えてもこようなと。さりながら、こうした中国史書との関わりから銅鏡現物といったものが出土したことが俄かに実在性を感じさせることにもなるような気がしてものでありますよ。

 

しかし、それにしても安満宮山古墳は見晴らしの良い場所にあるわけですけれど、遠くにはあべのハルカスまでも見通せる中、山すその少々向こう側に広い芝地が見えますですね。

 

 

ちょうど阪急線とJR線に挟まれたエリアですが、この芝地の広がりが弥生時代の環濠集落である安満遺跡でして、宮山古墳の被葬者はここの王ではなかったかと考えられているようです。歴史をたどる際、ついつい縄文時代、弥生時代、古墳時代…とそれぞれの時代区分には何かしらのはっきりした画期があって、昨日まで弥生、今日から古墳時代と、そんなふうに考えてもしまうところながら、時の流れは連続しているのですよね。弥生時代から古墳時代へとゆるやかに移っていったのでしょうか。

 

ということで、安満宮山古墳を訪ねたのちは今城塚古代歴史館の展示解説に戻って、どっぷり古墳時代の話へと考えてはおりましたが、この際ですから安満遺跡公園を訪ねたお話の方を先に持ってくるといたしましょう。