JT生命誌研究館で辿った壮大な地球の生物の歴史も興味深かったわけですが、とりあえず話は日本史の範疇に引き戻しまして、大阪・高槻で次に訪ねたのは「今城塚古代歴史館」なのでありました。学術的にはもはや継体天皇の陵墓と見て疑いなしとなっている(にもかかわらず、宮内庁は認めていない…)今城塚古墳に隣接して、あたりを「いましろ古代の杜」と呼ぶエリアにある施設。今回のお楽しみのひとつとしていたのでして。
展示は主に古墳時代の始まりから終焉まででして、その前史として「旧石器時代から縄文・弥生時代を経て、王の登場まで楽しく映像で解説」するコーナーから始まります。この映像にも、またその後の展示解説にもたびたび登場してくる案内役がいるのですけれど、その名をなんと!「けったいさん」とは。
今城塚古墳が継体天皇の陵墓であるとされているところから来ているにしても、「けったいさん」なるネーミングでキャラ設定をしてしまうというのは、何とも大胆であるなあと。ちなみに高槻市自体のマスコットキャラクターは「はにたん」というそうな。
いかにも古墳時代押しの高槻のようすが窺えるところですけれど、それはともかくとして古墳時代に関わるメイン展示はこんなふう。「三島最古の古墳」を紹介するところからになりますですよ。
ところで土地柄に詳しくないものとしては、ここでやおら「三島最古の…」と出てくる「三島って?」と思ってしまうわけですけれど、高槻市や隣接市の多くを含むエリアは古代より「三島郡」として知られ、大宝律令にもここを「三島上郡」と「三島下郡」に分けるといった記載があるという、歴史的な地名だったのですなあ。
で、地名が歴史的なものであるというにとどまらず、この地域は「古墳時代初期から終末期までの各時代を代表する古墳が含まれ、羽曳野・藤井寺周辺の古市古墳群、堺周辺の百舌鳥古墳群と並ぶ規模を誇る、日本有数の古墳地帯」(wikipediaによる)とされる「三島古墳群」があるという。単に今城塚古墳を目指して来た程度の予備知識の者にとっては「ほお~」と思ってしまったものでありましたよ。
中央にある前方後円墳(今城塚古墳)以外は分かりにくいとは思いますが、点々と見える古墳の数の多さは感じ取っていただけようなかと。でもって、かくも多数の古墳が点在する「三島古墳群」にあって、最も古いとされているのが(と、話は上の展示解説の始まり部分に戻りますが)「安満宮山古墳」であるということで、解説にはこのように。
3世紀の中頃、奈良盆地東南部に、箸墓をはじめとする巨大な前方後円墳が突如として出現しました。古墳時代のはじまりです。それらは倭国(日本)の中心的な勢力であり、邪馬台国から発展した初期ヤマト王権の王墓とみられます。銅鏡5面を出土した安満宮山は、そうした前方後円墳が出現する直前の3世紀中頃、邪馬台国の時代につくられた三島最古の古墳です。
ここでは必ずしも邪馬台国畿内説に立っているわけではありませんが、それらしくはある…ということは措いておくとして、ともあれ安満宮山古墳というのはヤマト王権以前、邪馬台国の時代の古墳であるというのですなあ。こうなると、俄然行ってみようかという思いがむくむくと。
ですので、誠に唐突ながら今城塚古代歴史館の見学の途中ではありますが、いったんここで安満宮山古墳を訪ねたお話を差し挟んでおこうかと。その後にまたt展示解説のお話に戻ってこようと思っておりますよ。