もう10年以上前になりますね、この時期に「府中の夏 北欧の風音楽祭」というイベントが行われたことがありました。その後も何年かは6月から7月にかけての数日、東京・府中を舞台にサロン・コンサートのようなものが散発的に行われたようすは、amebloに設けられた音楽祭ブログで知ることができたのですけれど、あるときパタッと更新がストップして、そのままになってしまった…。つまりは音楽祭も立ち消えとなったかと。

 

とても手作り感に溢れたイベントでしたので、毎年継続して開催するにはいろいろと難しいこともあったろうとは思うところです。資金的なことも、今ならばクラウドファンディングで集めたりすることがまだできない時代でしたし。

 

ところで、この音楽祭の最たる特徴は「北欧の風」と謳っておりますように、普段は演奏される機会のあまり無い北欧の作曲家の作品を精力的に取り上げていた点なのですよね。北欧圏の作曲家として思い浮かぶのは、シベリウスグリーグ、そしてニールセンくらいがごくごく一般的なところでしょうか。さりながら、本当にそれだけしか作曲家がいないわけではなくして知られていない…のは、10年前と今とで多少は違うにせよ、大きく異なることはないような。そういう点でも知らなかった作品に接する貴重な機会でもあったわけですね、音楽祭は。

 

とまで言っておきながら出向けたのは最初の年の、それもオープニング・コンサートだけだったのですが、そこで初めて作品を知ったひとりにPeterson Bergerという作曲家がおりました。綴りを読めるように読んでみればピーターソン・ベルガーとでもなるところながら、これがスウェーデン語風味を聞かせて読みますとペッテション=ベリエルとなるようで。

 

梅雨の時季だからこそ北欧の冷涼な空気を思い浮かべて…と、そんな思いで自宅のCDを物色した際にから音楽祭を思い出し、またペッテション=ベリエルもまた。ですので、ずいぶんと前に買ったものの余り聴いていなかったペッテション=ベリエルの交響曲全集(5枚組)をこれを機会と、しばらくヘビロテで聴いていたのでありました。

 

 

まずは5枚を順々に聴いていったですが、初めの頃はあまりピンとくるところなくぼやっとした印象。ペッテション=ベリエルは1867年生まれですので、シベリウスやニールセン(どちらも1865年生まれ)とほぼ同世代なわけですけれど、両者がそれぞれに遅れてきた?シンフォニストとして試みある曲作りを指向したのに比べますと、非常にわかりやすい一方で、だからこそ聴き流してしまうようなことにもなったわけです。それが5枚目に至って、ちょいと思い至りましたのは「なんとはなし、英国っぽいな」と。そうと気づいて、また1枚目から聴いていきますと、最初に耳にしたときよりもいささかストンと落ちる思いがしたものなのでありますよ。

 

さりながら、「英国っぽい」とは果たして?と我ながら。何しろ北欧圏の作曲家があまり知られていないというのと同じように、英国の作曲家と言って思い浮かぶのはせいぜいエルガーとかブリテンとか、決して数は多くないのですよね。にもかかわらず「英国っぽい」と感じた正体は?と考えてみたところで、「ああ、民謡かあ」と。イングランド民謡、スコットランド民謡、アイルランド民謡などなど、日本人がさも文部省唱歌でもあろうかと思い込んで馴染んでいるメロディーが実はこれらの民謡であったりすることはよく知られておりますしね。

 

考えてみれば、北欧、スカンジナビア半島とグレートブリテン島とは北海に遮られるものの、海路で考えればそれほどに遠くはないのですよね。いわゆるヴァイキングが猛威をふるった時代、ブリテン島にもたびたび襲来していますし、一時はノルマン系のデーン人による支配下に置かれたもしましたし。そうしたことは、何も侵略の歴史ばかりではなしに精神文化の面とでもいいますか、何かしらの名残りをその後に残したこともあろうかと思うところです。

 

と、そんな想像からも先の思い至りがあるわけですけれど、もう一枚、ここで別のCDを取り出すことに。北欧圏の作曲家による小品を集めて「白夜のアダージェット」と題された一枚です。

 

 

基本的に弦楽合奏で演奏された曲集でして、時に弦楽合奏が響かせる硬質な響き、これがキンと冷えた空気感が伝わるところにもなるわけですが、この硬質な響きというのが英国の作曲家たち、例えばヴォーン=ウィリアムズあたりを思い出させたりもするという。無理を承知で引き合いに出せば、ヴォーン=ウィリアムズもせっせと民謡採集に精を出した人でしたですねえ。

 

ま、全て勝手な思い巡らしでしかありませんけれど、こうしたことも音楽を聴く楽しみのひとつかも。要するにBGMにしてしまってないかえ?と言われたならば、それまで…ではありますけれど(笑)。