ヘンリー・パーセル(1659-1695)のあと、エドワード・エルガー(1857-1934)が登場するまで
イギリスは作曲家貧乏の状態が続いたように言われることがありますけれど、
それにはプロテスタント による音楽排除の方向性が絡んでいた…てなことには
あんまり思いを致してこなかったなぁと。
オランダでも教会に古くから据え付けられていたオルガンが
プロテスタント化の嵐の中で散々にぶっ壊されてしまったようですし。
もっとも、そうした過激な風潮がひと段落したときに、
当時としては最新式のオルガンを再建できるようになったとも言えるようで。
過激なカルヴァン派に対して、ルター派はもそっと音楽に寛容だったようで、徹底破壊は免れた。
これがアルプ・シュニットガー のように、一からオルガンを制作するのでなく、
古いオルガンに改造の手を加えて、より大きな、より機能の向上したオルガンを作り上げる
てな方向になったのかもしれませんですね。
と、やおら夏の北ドイツ廻りで仕入れたことの受け売りになってきてしまいましたですが、
冒頭のイギリスの話は、読響演奏会プログラムの記事を読んでのこと。
エルガーの2曲のみという、珍しいプログラムを聴いてきたのでありますよ。
エルガーといっても、普段は「威風堂々」の第1番か「愛のあいさつ」くらいしか
取り上げられる機会がありませんですけれど、いかにもイギリスっぽいというか。
多分に思い込みでもあろうかと思いますが、
「威風堂々」はまさに大英帝国 の威信の象徴のようでもあり、
また「愛のあいさつ」はヴィクトリア朝 的家庭の団欒てなところが思い浮かぶようであります。
一方で、エルガーが交響曲第1番を作曲した1907~08年頃は
例えばマーラー では「大地の歌」が作られる時期で
交響曲が相当に異形なものとなってきていた頃合いですけれど、
エルガー作品は全くもって「いかにもな」交響曲。
しかも、第1楽章に付された「Nobilmente」という言葉が実にしっくりくる、
おおらかな気品を備えておりまして、
決して奇を衒うでない、英国ジェントルマンの余裕が感じられるところでもありました。
と、ことほどかほどに英国っぽさを感じさせるエルガーですけれど、
今回演奏されたチェロ協奏曲はまた違った味わいではあります。
作曲時期が自身の病や第一次大戦の衝撃などと重なるようでもあり、
濃厚に漂う憂愁はそうしたところから来ているのでしょうかね。
ただ、この憂愁というのがごくごく一般的というか、普遍的なイメージかというと、
どうもそうとばかりは言えないような…と、演奏を直に聴いていて思いましたですよ。
イギリスはやはりヨーロッパ北方の文化圏にあるんだなぁという気がしみじみと。
低く垂れこめた雲にさえぎられてどんよりした日々が多い。
こうした気象条件が文化そのものではないにしても、
こうした下で暮らす人々の精神性には当然に関わることでしょうし。
うまく言い表せなくって申し訳ないですけれど、
エルガーのチェロ協奏曲を聴きながら、鉛色の空を見上げるふうをイメージしたものですから。
今さら言うまでもないやもですが、実に深い曲でありますねえ。
ところで、同時に演奏された交響曲第3番ですが、
これはエルガーが完成させることなく、スケッチを残して世を去ってしまったもの。
それをアンソニー・ペインという作曲家が補筆完成させたのですけれど、
演奏としては力演、曲も遅れて来た正統派交響曲という点ではエルガーかと思わせるものの、
聴いた感じはおよそエルガーっぽくないといいましょうか。
決定的なところは(アンソニー・ペインもイギリスの作曲家ながら)
ここまであれこれ書いてきたような、何かしら英国的なことを思わせるものがないといいますか。
むしろユニバーサルなものになっている気がしたものですから。
時代を経ることで、もしかしたらエルガーもそうした曲を書くようになっていったのかもですが、
どうしても纏っているのは19世紀の人、ヴィクトリア朝の人という雰囲気でして、
エルガーの復古的なかっちりした曲の個性もそうしたところにあろうかと思うと、
この交響曲第3番は少々噛み合わないイメージがあるやに感じられたのでありました。
そうそう、第2楽章はイギリスのミステリードラマの音楽みたいで、面白かったですよ。
「ヒッチコック劇場」のテーマを思い出させるというか…。