ゴシック・ロマンス の話ではありませんけれど、どうも文化的には見劣り感のあるイギリス。

音楽でも、パーセルの後はエルガーまで待たなくてはならないと言われるほどであって、
その間はヘンデルやヨハン・クリスティアン・バッハ、ハイドン

ドイツからの招いた人たちの活躍で活況を呈していたりしますし、

また美術の方でもフランスの百花繚乱状態とは縁遠いふうでもある。


ではありますけれど、その美術の分野ではヴィクトリア朝 から世紀末のあたり、
イギリスならではの動きが確かにあったと言えるところがありますですね。


目立つ動きとしては、ラファエル前派であり、アーツ・アンド・クラフツ運動であったり。
そして、それらの動きとも絡み合って、唯美主義としての姿が見られるのではなかろうかと。


と、三菱一号館美術館で開催中の

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900」なる展覧会を見てきた、
そういうお話であります。


「ザ・ビューティフル - 英国の唯美主義1860-1900」展@三菱一号館美術館


ところで、改めて「唯美主義」とは?ですけれど、
フライヤーにある「唯、美しく。」ではキャッチーながら、それだけ?の感あり。
ですので、やはりフライヤーに掲載された本展「監修者からのメッセージ」を

部分的に引いてみるとします。

唯美主義運動は、「芸術のための芸術(Art for Art's Sake)」を創りだそうとしました。これはただ見る人の目を歓ばせるために存在し、大胆にも官能の悦楽までほのめかそうと願うような芸術です。

「芸術のための芸術」と言われれば、

唯美主義はまた審美主義とも言われるのが分かる気がしますし、
それが転じてなのか、延長上なのか、「官能の悦楽までほのめか」すものとなれば、
また別に耽美主義とも言われることになるほどと思わざるを得ない。


唯美主義は英語で「aestheticism」、要するに「エステティック」と親戚になるわけでして、
これまた(日本でのカタカナ英語的理解かもですが)重めに捉えることも軽く受け止めることも
いずれも可のような気がしないでもないですね。


ではありますけれど、審美主義と耽美主義はその印象として、
同じ領域のようでもあり、また両極端のようでもありそうな。
その辺りが見る側に委ねられるとすると、ある種、作り手が受け手の意識を先廻りして
想像(創造)したりするのかもしれんですねえ。


ひとつの例として、フライヤーでクローズアップされてもいる
アルバート・ムーアの「真夏」(1887年)を取り上げたいと思いますが、
これはですね、実に実に素敵な絵でありますよ。


見た目、神話の一場面であるかのような設定の中で、
ただただまどろむ少女と仕える女官のように左右に立つ女性は扇で少女に風を送っている。
それだけです。


それだけというのは、

物語を喚起させる力は強く感じられるものの、本来的に物語性はありませんし、
逆に「真夏」というタイトルの下、扇で煽がれる暑さが想像されるものの、
寝汗をかいているわけでも、また寝汗といった生々しいものが感じられるリアルさも

またありません。


では、何を描いているのかとなれば、
安い言葉遣いでも申し訳ないですが「きれい、きれい」を描いているわけですね。

それ以上でもそれ以下でもない。

唯美主義の唯美主義たる由縁ではないかと思いますですよ。


これが、同じ寝姿を描いたとしても、(本展には出てませんが)
フレデリック・レイトン描くところの「フレイミング・ジューン」(1895年)となると
先の引用の後段の方、つまりは耽美の方向に傾いているやに思われます。
(って、そういう目で見てるだけかもですが…)


フレデリック・レイトン「フレイミング・ジューン」


展示の中にあったものでは、

「サロメ」で有名なビアズリー作品にそうした傾向が色濃く出てますけれど、
これは過度な厳格さ、節制を求められたヴィクトリア朝の

反動が表れたところもあるのではないかと。


オーブリー・ビアズリー「サロメ」


自らも家庭を大事にしたヴィクトリア女王は英国家族の模範を示す意識があったのかもですが、
表向き良妻賢母的な女性像を大事にしながらも、世の中では
ファム・ファタル を渇望していたようなところがある。


アルマ=タデマほかがデザインした腕輪などは
まさに映画「ファム・ファタール」の世界でありますし。


ファム・ファタール [DVD]/レベッカ・ローミン=ステイモス,アントニオ・バンデラス,ピーター・コヨーテ


と、まあ耽美に傾いているかどうかは別として、大きなうねりでもあった唯美主義ながら、
当然にその動きに冷やかな視線を送る向きもあったわけで、

展示はそちらの方にも目配りされていました。


英誌「パンチ」に掲載されたデュ・モーリエの風刺画を見ると、
唯美主義者として美を愛でることに生きがいを感じる夫妻が素晴らしい壺を手に入れて
お互いに「この壺(の美しさ)に恥じない生き方をしましょう」と確かめあったりしていて、
何事も過ぎたるは及ばざるがごとし…でもあろうかと。


唯美主義の論客でもあったオスカー・ワイルド が1895年にスキャンダルにまみれると、
運命を共にするように唯美主義の信用も失墜していったそうですが、
オスカー・ワイルドの一件は要するに引き金であって、
もはや世紀末間際、折しも潮目が変わっていくところだったのかも。


20世紀に入ってパリではエコール・ド・パリの花が開く時代が来ますけれど、
イギリスの方はまた大人しくなってしまった。


もしかすると唯美主義は、ヴィクトリア朝の、引いては大英帝国
「白鳥の歌」だったのかもしれませんですね。