コペンハーゲンのことをあれこれ書いてきていたものですから、
そうした際の耳のお伴にはデンマークの音楽をということで、
カール・ニールセンの交響曲を聴きながら過ごしておりました。

それにしても、デンマークという国は広く(日本にまで)知れ渡るような文化人が
いるかどうかという点ではちと見劣りする感がありますですね。


デンマークの前に訪ねたノルウェー、オスロでは

まさにエドヴァルド・ムンクの生誕150年 で盛り上がっていましたけれど、

ムンクはノルウェーのみならず知名度的には全国区(全世界区?)であって、
デンマークの画家としてはヴィルヘルム・ハンマースホイ が辛うじて

2008年に開催された展覧会を通じて日本にはかなり知られるようになったものの、

ムンクほどではない。


文学ではデンマークにはアンデルセン という別格がいますけれど、

それでは音楽の方はと言いますと、ノルウェーのエドヴァルド・グリーグ が全国区であるほどの

存在がデンマークにはいないわけです。


音楽之友社刊「作曲家別名曲解説ライブラリー」の「北欧の巨匠」という一冊には
ノルウェーのグリーグ、フィンランドのシベリウスとともに
デンマークのカール・ニールセンが取り上げられていて、

ようやく面目を施している感じ。


ですが、グリーグ、シベリウスに比べると知られなさ度合いが高いですよね、ニールセン。
(と、全く取り上げられないスウェーデンよりはましとも言えますが…)


とまれ、こうしたことからもあまり広く知られることのないデンマークの文化人のうち、
音楽家としてはカール・ニールセンに登場してもらう、ということになるわけです。


ニールセンは1865年生まれで、シベリウスとは同い年。
シベリウスが7曲の交響曲を書き、ニールセンも6曲のシンフォニーをものしていることから、
いずれもシンフォニスト(交響曲作曲家)として知られておりますですね。


ですが、19世紀も終わりに近づいていきますと、当時音楽の本場となっていたドイツ圏では
5年早く生まれたマーラーこそシンフォニーへの拘りを見せたものの、
交響曲、シンフォニーという形式にあまり縛られなくなっていたようにも見えるのでして、
それだけに音楽の主流から少々外れた辺境の北欧(ロシアなんかも同様かと)では

遅ればせの?シンフォニーが書き継がれていた…とも言えましょうか。


ニールセンの経歴はといえば、貧しい家庭に育ち、
音楽が趣味で楽団を組んでいた父親のもとでヴァイオリンを手習いし、
軍楽隊の欠員補充に滑り込んで金管楽器に手を染め、
王立音楽院にはヴァイオリンでは入学できず、なんとか作曲科に入れてもらったというふう。


こうした経歴から考えても、アカデミックな音楽教育に無縁で来たがためにむしろ
絵画でいうところの歴史画みたいな位置付けとも思われる交響曲を書いてこそ
一人前になれるてな思いがあったかもですね。


音楽院卒業後には王立劇場のオーケストラにヴァイオリン奏者として採用されますが、
このオーケストラの中に身を置いたことが後々管弦楽曲を書いていく糧になったようであります。


ところで、このニールセンが在籍した当時のオーケストラの指揮は
ノルウェー人のヨハン・スヴェンセンが担当しており、
デンマークとノルウェーの長い国の関係からすれば何でもないことなんでしょうけれど、
それでも王立劇場のシェフに自国人を置けないデンマーク事情というのもあったのでしょうね。


ついでですが、毎年毎年世界各地のオーケストラが来日公演にやってきていて、
その中にはノルウェーのオスロ・フィルとかフィンランドのラハティ響とかも登場するのですが、
どうもデンマークからというのはおよそ聞かない。


連れてくるオケがないわけではないのでしょうけれど、
もしかするとお隣のスウェーデン、ストックホルムのオペラハウスで「トスカ」を見たときに、
そこのオーケストラに少々「ほげ?」と感じたようのと同じようなものなのかも。


これは推測になりますが、ひとつの原因としてチボリ公園 が関係しているような。
チボリ公園の中にはコンサート・ホールもあり専属オーケストラもあると言いますが、
基本的に遊園地であるということから考えれば、同じクラシカルな音楽でも深さを求めるよりは
軽めの曲、聴き心地の良い曲などでプログラムが構成されるのではないかと。


で、子供の頃からチボリに通うジモティ(死語ですな)たちは
「ここのオーケストラがとってもいいのよ」と語ることになるわけで
NHK「世界ふれあい街歩き」のコペンハーゲン編でインタビューを受けたおばあちゃんが
まさしくその通りの言葉を残しておりましたですよ。


ということで、プロムナード・コンサート的と言いますか、ライト・クラシカル中心の演奏会こそ
人気を呼ぶお土地柄だとすれば、それ相応の音楽需要に応えるだけで済んでしまう…
てな側面があるのかもですね、あくまで推測ですが。


とまあ、そうした環境(とまで言い切っていいのかははっきり言って疑問ですが)で
ニールセンは奮闘し、交響曲を6曲(他の曲もいろいろと)作曲したものの、

どうもあまり顧みられていない。


改めてこの機に聴いてみたところでは、ちと野暮ったいところもちらほらするものの、
何だかスルメのように噛めば噛むほど、否、聴けば聴くほど味が出てくる感じだものですから、
なんとか生演奏で聴いてみたところです。


1865年生まれですから再来年には生誕150年を迎えるわけですので、
そうしたタイミングで日本でもどんどん演奏されることを願うばかりですけれど、
シベリウスが同年生まれとあっては、やっぱり日の目を見るのは

シベリウスになってしまいましょうか…。