今年2013年は画家エドヴァルド・ムンク(1863-)の生誕150年に当たるものですから、
ノルウェーでは最も世界的に有名な画家と思われることもあり、
オスロでは国立美術館(Nasjonalgalleriet)とムンク美術館(Munch Museet)の2館共同で
「Munch150」なる大回顧展を開催中(10月13日まで)なのですね。


国立美術館@オスロ


王宮 に立ち寄った後に足を伸ばした国立美術館は確かにワンブロックを占拠する大きさながら、

同じような建物群に囲まれてあまりランドマークとしては目立たず、
うっかりすると通り過ぎてしまうような感じですが、

こちらではムンクの活動の前半部分を中心に展示してました。


ムンク美術館@オスロ



そして後から訪ねたムンク美術館の方は活動の後半を中心に展示ということになります。
ですので、それぞれの美術館がどうのというよりも、ひとつの大きな展覧会を見てきた、

とまあそういうわけです。


ムンクと言いますと、

どうしてもその描いたところからして狂気に苛まれた画家という印象がありますけれど、
むしろ病気と貧困が主であって、それにまつわった家庭環境も絡み、
ムンク自身は狂気に陥るのを怖れながら(周囲から見ればすでに狂気にとりつかれながら)

描いていたとなりましょうか。


ムンク美術館の方ではムンクの生涯をかい摘んでまとめたドキュメンタリーフィルムを観ましたが、
あいにくと(と贅沢は言えませんが)ノルウェー語オンリーで何となく見てしまったと言いますか。

そこで情報として持っているにしくはないと読んでいた「ムンク伝」を参考にしつつ、

ムンクを回顧するといたしましょう。

ムンク伝/スー・プリドー


作品は独立したものとして、

作者がどういう人でどういうことを考え、どういう思いで描いたかといったこととは切り離して

作品と相対することもできますし、そのこと自体、間違いでもなんでもない。


ですが、ことムンクに関しては描いたものが

家族を含めて作家自身と切り離すことができない対象であったりしますし、
ムンクの生涯を知ると「なるほどなぁ~」と思うことしばしでありますよ。


展覧会を見て思うのは、というより展覧会自体の構成からしてもそうだったんですが、
ムンク作品というのは同一主題、同一モチーフの使い回しが非常に多いのでして、

かの有名な「叫び」にしても4種でしたでしょうか、そして「マドンナ」も「バンパイア」も

その他にも複数の作品が残されているケースが多々あって、展示されてあったものも。


こうしたことからは、ともすると「金儲けのため?」などと思ってしまうところもあろうかと。
例えばですが、同じ作品を何枚も描いたルネ・マグリットあたりには

むしろそうした動機は十分だったかもですし。


ところでムンクはといえば、

先に「貧困」というキーワードを記したようにムンクは長い長い貧困生活を送りますが、

どうもそうした動機から同一作が複数あるのでは必ずしもなさそうです。

(もちろん無いとは言い切れませんが)


ムンクは子供の頃から貧困家庭で育ち、長じて絵描きになっておよそ絵は売れず、
オスロで自作展を開いたときには親類縁者からは散々に

「家が大変なんだから、もっと売れる絵を描いたらどうだ」と諭されてしまう始末。


もしこの言を容れて当時として売れる絵を描くようになっていたとしたら、
生誕150年に大々的な回顧展が開かれ、世界中から見に来るようにはならなかったのでは…

と思ってしまうところです。


もっとも後世にこうなったからといって、

当時のムンク自身とその家族の貧困状態に何らの助けにもならないわけで、
ムンクよりも10年年長のゴッホのことを少々思い出したりもしてしまいますですね。


とまれ、それではどうして同じ主題の作品を残すかということになりますが、

これはムンクの作品の本質に触れるところにもなりそうです。


例えば「病める子」というタイトルの作品はオスロの国立美術館で見られるものを筆頭に、

いくつか残されていますですね。


エドヴァルド・ムンク「病める子」@オスロ 国立美術館


最愛の姉が死に瀕している場面を描くにあたって、

自分の目に見えたその場面をかっちりと描きだそうとするのですね。


「自分の目に見えた」というが肝心でありまして、

これは写実主義のように「(写真のように)ありのまま」ではありませんし、

印象派のように「光がどう見せているかを描き取る」わけでもありません。


仮に自宅の居間を眺めた場合、家具の配置などをいじらなければ、

朝起きぬけであろうが、昼間であろうが、夜見ようが何も変わらない風景ということになります。

(印象派のように光を問題にすれば、違うということになりますが)


ところが、見る側の自分がその時々で同じ状況には無いのでして、

自宅の居間も朝起きぬけであればぼぉんやりと見えるかもですし、

昼間にはかっちりと見えても、夜には酔っ払っていてモノが二重に見えたりとか…。


この例では感情に触れていませんけれど、激していたり、落ち込んでいたり、

それによっても(当人にとっての)見え方は変わる(理屈としてはよく分かります)わけで、

ムンクはそれをいかに写し取るかに腐心したようでありますね。


モデルを使ってポーズを取らせるものの、それはあくまで情景の再現であって、

キャンバスに描きだすのはムンクの目で見た風景というか、

ムンクの感情というフィルターを掛けた独自の世界。


描いてみては「ああでもない」、直してみれは「こうでもない」。

日を置いてみると「どうも違う」…と、こんな繰り返しが

同じテーマで何度も描くことになった由縁でもあろうかと。


何度も描くだけでなく、ムンクは作品を手元において事あるごとに手を入れていたということも

同じ理由によるものでありましょうねえ。


こうなると、そもそも絵を売る気があるのかどうかということになり、

貧しさはいっこうに変わらないことになってしまいますが…。


てなことを思い、考えながら一度にたくさんのムンクに囲まれて来たわけですが、

見ている側も全くもってムンクと同様。

見るたびに見ているこちらの知識も印象も感情も体調も変わるのですから。


再開発中のオスロ では件のフィヨルドシティ計画の一部として

閑静な郊外(といっても、中央駅から地下鉄で二つめですが)にあるムンク美術館も

ウォーターフロントにほどなく移転するのだとか。


そうなったら、また行ってみたいものでありますね。

そのときには、訪ねるこちら側も「また違う人」になっていることでしょうし。


ところで、これはノルウェー民俗博物館 に行ったときに撮った一枚です。


ノルウェー民俗博物館にて


蔦状の植物が壁面を伝う建物…。

「そんなの、日本でも見られる」といえば、その通りなんですが、

これを見た時に思いましたですね。


エドヴァルド・ムンク「赤い蔦」@ムンク美術館


ムンク美術館で見られる「赤い蔦」は、まさに赤さが衝撃的ですけれど、

こうしたようすが日常の中にあったからムンクは描いたのだなと。

やはりノルウェーと切っても切れないムンクでありましたよ。