今回の読響演奏会はシベリウス尽くしでありました。

1865年生まれのシベリウス、生誕150年にあたるのだそうでありますよ。


読売日本交響楽団第181回東京芸術劇場マチネーシリーズ


フィンランドの指揮者オスモ・ヴァンスカが2つのオール・シベリウス・プログラムを振るうち、

組曲「カレリア」、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第1番というビギナー向け?の方を聴いたのでした。


組曲「カレリア」では、よくTV番組の中でもBGM的に使われる第3曲「行進曲風に」が

「これはあくまで『行進曲風に』であって、マーチそのものではないのだな」と

今更ながらのことに気付いたり(テンポはいいけれど、とても行進しにくそうであると)、

ヴァイオリン協奏曲はときに曲の重厚さが力任せ的な演奏を引き出してしまいがちのところを

独奏エリナ・ヴァハラの力みのない素直でスムーズな音で聴くと、清涼感(フィンランドらしい)が

増幅されるような気がしたり。


また、交響曲第1番は常々荒削りな曲でもあると思っていたところへ、

比較的早めのテンポでぐいぐいもっていかれますと、シベリウス最初の交響曲であるところの

若さがなおのこと際立って、ごつごつとした印象。

あたかもヘルシンキのシベリウス公園に置かれた奇抜なモニュメントを思い出すような。

(岩の上にやおらシベリウスの巨大な顔面の彫刻が乗っかっているという…)


さらにはどの曲というに限らず、木管楽器、

特にクラリネットやイングリッシュ・ホルンの使い方が実に印象的でありますよね。

このあたりも生演奏で目の当たりにすると、その深い息遣いにも似た音色には

どうしたってフィンランドと森との関係を想起してしまうところでありましょう。


と、これまた改めてふと気づけばフィンランドの作曲家は他にいないわけではないのに、

シベリウスだけが広く知られるとはどうしたことであろうかと。


単純に考えればシベリウスが別格だかということでもありましょうけれど、

一方でひと口に西洋音楽と言ってしまうものも、他の西欧文化と同様に

古くギリシア・ローマに端を発して、じわじわと拡散していった経緯の中では

フィンランドは辺境の地であったということになりましょうか。


ところが、そうした文化の伝播の見方は非常にワンサイドなものであって、

そうした文化がやってこようがこまいが、フィンランドにはフィンランドの独自文化があったはず。

それとは別の系統のものが入って来たのが、距離的なこともあって遅くなった…

ということでもあろうかと。


そんなふうに考えてシベリウスを振り返ると、生年が1865年とは慶応元年なのですなあ。

シベリウスが生まれた頃の日本はまさに維新前夜であったわけです。

フィンランドへの西欧文化の伝播とは形態がおそらく異なるとはいえ、

明治維新後の日本には、それまでの独自文化とは違う文化が怒涛のように押し寄せた。

(日本の場合は進んで招き入れたというべきかもしれませんですが)


それまでの文化とは違う新しい文化へのリテラシーに秀でるというのは

何とも難しそうと感じますけれど、ともかく新たな文化の受容期であったとすれば、

洋の東西の違いはあるものの、似たような状況があったのかなと思ったり。


そう考えても、やはりフィンランドでのシベリウスの別格度合いというのが

浮き彫りになってくるような気がしてきますですね。

必ずしも演奏機会が多いわけではないですから、堪能した演奏会でありましたですよ。


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