ちと町外れにあります諸国民戦争記念碑とその資料館を訪ねたのち、

トラムで市街の中心まで戻ってしまう前に途中下車、またまたライプツィヒ音楽軌道をたどることに。

例によってにょろにょろとした路面の道案内をしたがって導かれたのが、こちらの街角でありました。

 

 

いったいここが何だぁ?というくらいに「何の変哲もない」ように見えるわけですが、

解説板によりますとこの建物は、旧ペータース音楽図書館であるということでして。

楽譜や音楽書を扱う出版社として知られるペータース創業の地がライプツィヒであって、

その会社の隣接地に1894年に開館したのがこの音楽図書館であったそうな。

 

約500にも及ぶ作曲家自筆譜(バッハからブラームスなどまで)のコレクションは

今では市立図書館に受け継がれており、この建物自体は現在、内部非公開ということでありました。

ところで、この建物を通り過ぎたところで、「ん?!」と。

 

隣の建物との間にある小さな緑地の中に、ぽつんと首だけの像が立っており、

よく見れば「エドヴァルド・グリーグ」と書いてある。

 

先に触れましたライプツィヒ・オールスターズには確かにグリーグも入っておりまして、

ライプツィヒとの関わりは後ほどとしておりましたですが、いよいよ登場してもらうことにいたしましょう。

 

ご存知のとおりグリーグはノルウェーのベルゲン出身ですけれど、最初の関わりはといえば、

ライプツィヒ音楽院(現在のメンデルスゾーン音楽演劇大学)に3年半にわたって留学したことでありますね。

グリーグの15歳から18歳頃までのことです。

 

この頃はまだピアノ独奏曲やピアノ伴奏の歌曲といった小品ばかりが残されているわけですが、

その後、当時の北欧では最も芸術的な都市であったコペンハーゲンに移り、

デンマークの作曲家ニルス・ゲーゼの教えを受けて、交響曲やソナタなど構成の大きな曲も書くようになったと。

ですが、思うにライプツィヒ音楽院での学びの開花ということもあったんじゃないでしょうかね。

 

で、かの顔だけ像が置かれているところに、ライプツィヒ音楽院に通ったグリーグ若き日の下宿があった…

てなふうに想像するところながら、実はそうではないのですなあ。

 

先にふれましたように、この顔だけ像隣接の建物にはペータース楽譜出版社があったのですが、

そこの社主のペータースさん、先を見る目があったということでしょうか、

いまだライプツィヒ音楽院に通う若造のグリーグと楽譜の出版契約を結んだのであるとか。

 

 

以来、長く続く関係の中でグリーグがライプツィヒを訪問する度にペータースを訪ね、滞在もしたようす。

主に冬の間だったといいますから、寒い北欧に比べればいくらか避寒になる滞在だったのかも。

そして、おそらくグリーグの作品で一般にいちばんよくしられているものであろう「ペール・ギュント」の第一組曲は

1888年、この建物の書斎で組曲に仕立てられたということなのでありますよ。

 

 

そうしたつながりがあって、顔だけ像隣接の建物内には「グリーグ記念室」が設けられているということ、なのですが、

これまたあいにくと閉まっておったのですなあ…。

 

中では少々の展示と、グリーグ自らピアノを弾いて新曲披露に及んだという音楽サロンが見られるはずながら、

閉まっていては致しかたなし(今回はあちこちで閉まっている状態に出くわしていて…)。

そんなこんなを紛らわすために(?)これを書きながら、「ペール・ギュント」第一組曲を聴いているのでありますよ。

この手のポピュラー小品にはやはりカラヤン、ベルリン・フィルということで(当たりはずれがあまりありませんので)。

 

 

曲は当然にして、グリーグの超有名曲「朝」から始まりますけれど、

ノルウェー出身のグリーグだけに北欧の清冽な空気の朝と思ったりするとこれも大きな勘違い。

ちょいと前のEテレ「らららクラシック」でも取り上げられていましたように、この曲の舞台はなんとモロッコ。

サハラ砂漠の夜明けであるとなれば、そういう想像のもとに曲をイメージする必要がありましょうねえ。

 

ちなみにCDを聞き流しておりますと、曲は進んで第二組曲に移っていってしまうものの、

はたと比べてみますれば第一組曲の構成のまとまり感が際立つような気がしますなあ。

 

つかみのいい主題で始まる第1曲「朝」に始まり、緩徐楽章たる第2曲「オーセの死」、第3曲「アニトラの踊り」は舞曲で、

最後の第4曲「山の魔王の宮殿にて」は怪しげなマーチで盛り上げるといったふう。

あたかも小交響曲のような…とは言い過ぎかもしれませんですが、

この組曲を編むときにライプツィヒにいたグリーグは若い頃のライプツィヒ音楽院での作曲授業などを思い出し、

既存のメロディーのつぎはぎながらも構成感に思いを致した結果なのかもしれませんですね。

 

ということで、ライプツィヒ音楽軌道をたどる町歩きはさらに続きます。