先日、ロパルツの交響曲第3番を聴いていて思い出したのはヴォーン・ウィリアムズなのですな。

「海の交響曲」と言われる最初の交響曲、まあ、合唱が入って壮大な曲であるという以外に

類似点はないのですけれどね。

 

 

ホイットマンの詩をテキストに使っているからかもしれませんですが、

この曲はヴォーン・ウィリアムズらしいかといえばどうも…と、これは完全に個人的思いながら、

かつて吹奏楽をやっていた者にとってヴォーン・ウィリアムズといえば、とにもかくにも「イギリス民謡組曲」だもので。

 

清酒「黄桜」のCMソングのような始まり方をする?この曲が個人的にはヴォーン・ウィリアムズ事始めになりますけれど、

タイトルどおりに民謡の旋律に溢れた曲で、イングランド各地で民謡のメロディーを採集したというヴォーン・ウィリアムズだけに

「らしさ」を感じるかどうかがそのあたりになってしまってもいるわけでして。

 

一般によく知られた作品が「グリーンスリーヴスによる幻想曲」であるというのも、

ヴォーン・ウィリアムズのイメージを決定付けることにつながってもいるような。

ま、あくまで個人的な印象なのですけれど。

 

そんな次第で、久しぶりに聴いた「海の交響曲」には相変わらず力のこもった壮大さを感じはするものの、

2番目に作られた「ロンドン交響曲」の方がより「らしさ」があるように思えて、こちらもCDを取り出したのでありました。

 

 

ここで「らしさ」と言いますのは、ひとえに民謡的な旋律が溢れているように思えるものですから。

もっともロンドン交響曲というタイトルが示しているとおりに、決してカントリーサイドの音楽を想定していたわけではないのに、

なぜか「懐かしい」感じさえするのでありますよ。

 

しかしまあ、イギリスから遠く離れた日本でもって、イギリス民謡風であることに「懐かしい」と感じたりするのは

いったいどうしたからくりか?と思うところながら、これは以前にもどこかに書きましたなあ。

 

おそらく、ですけれど、古くからの伝承であったりする民謡の旋律というのは、遠く隔たったどうしであっても、

可能性として根っこは一緒、あるいはそうまで言わなくとも原初的にヒトに響くものに類似があるのではなかろうか

ということがひとつ。

 

そして、もう一つはそれほどに長い間に培われたものではないにせよ、明治以来の刷り込み効果でしょうかね。

幕末の動乱を経て明治維新となりますと、さまざまな部分で洋化が始まりますが、音楽もそのひとつ。

国民教育の枠組みができて音楽も取り入れ、当初は大いに唱歌が称揚されましたですね。

 

外国の民謡を借りてきて、本来とは全く異なる日本独自の歌詞がつけられ、広く歌われた。

あたかも日本固有の歌ででもあるかのようにです。

 

さらには借り物だけでなく、日本オリジナルの唱歌が西洋の民謡や讃美歌を手本に作られますね。

長らく歌い継がれて、今では日本人の心のふるさとのように思われている唱歌「故郷」、

大正時代に作られて、この歌詞にあるような里山風景はおよそ少なくなってしまっているものの、

今でもことあるごとに歌われまていますけれど、先日のEテレ「らららクラシック」で紹介しておりましたように、

この曲は讃美歌の影響のもとに作られたというのですなあ。

 

日本人に「馴染むなあ」と思わせる韻律は歌舞伎のセリフまわしにもみられる七五調で、

歌曲の歌詞にもそうした調子がみられますね。例えば滝廉太郎の作った「荒城の月」とか。

ですが、「故郷」はこれと全く異なって「3・3・4、3・3・4…」と続いているという違いあると。

 

と、またしてもヴォーン・ウィリアムズの話はどこへやら…となってきておりますな。

とりあえず今回はロパルツの合唱入り交響曲からの思い出しついでに

「海の交響曲」と「ロンドン交響曲」の2曲を聴いたわけですけれど、

ヴォーン・ウィリアムズの作曲した交響曲は9曲(この人も9番までですなあ)ありますから、

3番以降もじわじわ聴いてみることにいたしましょう。

3番目の交響曲は「田園交響曲」と言われてますから、なおのこと「懐かしさ」がこみ上げるかもしれませんし。