昨年末に甲府へ出かけた最大のお目当ては山梨県立美術館で開催していた特別展…だったのですが、

そこに至るまでに立ち寄った大村智記念学術館山梨中銀貨幣資料館のことをあれこれ書いているうちに

会期は終了してしまったようで…。この後は3月から6月にかけて東京にやってくるようですけれど。

とまれ、東京では望めない落ち着いた環境で「シダネルとマルタン展 最後の印象派」を見てきたのでありますよ。

 

 

東京での会場はSOMPO美術館(旧・東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館)ということですが、

実はこの美術館で2015年に「もうひとつの輝き 最後の印象派 1900-20's Paris」展という展覧会を

見たことがありましたが、その時はわりと広く作家を集めていたようにも思いますので、本展の方では

取り分けシダネルとマルタンに特化したものということでありましょうか。

 

さしあたり、館内で写真撮影可とされていた作品が6点、

これをたどって展覧会を振り返ることにいたしましょうかね。まずはアンリ・マルタンの作品から。

 

 

アンリ・マルタンの作品を初めて意識したのは東京・白金にある松岡美術館で、

そしてその後に上野の西洋美術館でも驚くほどに溢れる光に心奪われたものなのですなあ。

この『野原を行く少女』(1889年)は薄もやのかかったようなところに、

デイヴィッド・ハミルトンがソフトフォーカス写真思い出したりをしますけれど(エロくはありませんが)、

やはり少女の白い服にからまる花々の色とりどりが真骨頂でありましょうか。

 

 

お次もマルタンで、『エプタル、砂地の上』(1888年)という一枚。

上の作品が描かれる1年前ということながら、ずいぶんと筆致異なっているような。

描かれているのが牧歌的とも思える場面だけに、予てセガンティーニを思うところが時折あったわけですが、

これもそんな印象がありますなあ。フライヤーの上部に配された一枚にも通ずるところです。

 

 

さて、こちらはアンリ・ル・シダネルの『ビュイクール、月明かりのなかの教会』という作品(1904年)。

2人のアンリは「生涯にわたる親交を結び、絵画表現における共通点も多い」と解説されておりますが、

ここまで静謐な場面描写はやはりシダネルの個性であるかと。

さりながら、次の2枚の作者は果たして…。

 

 

 

 

まあ、下はシダネルと思い、もしかして上も?と思うところながら、上はマルタンの作なのですなあ。

先にはセガンティーニを思うてなことを言いましたけれど、19世紀末という時代が時代だけに

ナビ派」の近しさも感じるところですね。特に上のマルタンの作品などはまさしく。

色合いの故でもありましょうかね。

 

 

そして、6枚目はやはりマルタンの作品で、

『ガブリエルと無花果の木(エルベクール医師邸の食堂の装飾画のための習作)』(1911年)。

撮影可の作品が6点あるということで、てっきりマルタンとシダネルが3対3であるかと想像しましたが、

結果は4対2であるのは…まあ、許可の関係で数に意味は無いのでしょうけれど、

個人的にマルタンびいきであるので、しめしめと(笑)。

2人の画家は豊かな色彩や点描といった印象派や新印象派の表現を継承しつつ、19世紀末に広がった象徴主義的な世界観や、家族や自邸の情景といった身近なものを情感を込めて描くアンティミスト(親密派)の顔もあわせもっています。

ほんの数点を見ただけでも、この解説にあるように

同時代のさまざまな絵画表現に取り組んだことが窺えるふたりの作品を

集客の観点からは「最後の印象派」と(日本での印象派人気にあやかって)言い切って?いるわけですが、

見る側として自由になって見ていいところではなかろうかと思ったりするのでありましたよ。