先日、映画『えんとつ町のプペル』を見た折に、そのロボットつながりの故に

(といって、プペルはロボットというわけではないのですが、どうも見た目で…)

思い出した映画がありましたけれど、1986年制作のアメリカ映画とあまりに昔だものですから

どうもストーリーもうろ覚え…ということで、この際ひっさしぶりに『ショート・サーキット』を見たのでありました。

 

 

「プペル」との対比においては、先に

「プペルと主人公ルビッチとの関わりという点では映画『ショート・サーキット』をも思い出すような」と記すも、

その実、改めてこれを見てみれば、追われるロボットを匿う人がいたという点が類似するだけでしたなあ。

 

DVDのジャケット写真を見る限りでは愛嬌のあるロボットに思えるところながら、

実際にはこのロボット、戦闘用に開発されたのですなあ。

5台あるロボットのうち、ナンバー5だけ落雷の関係でショートしてしまい、不具合を起こす…どころか、

AI機能の変調から?自らの考えで行動を起こすことになるという。

 

1986年当時は、SFファンタジー的に見ていたのかもしれませんですが、

AIのより具体的な活用が進められるご時勢にあっては、ファンタジー以上に眉唾として見てしまうかも。

ただ、電気的な短絡によってというのではありえない形と思ってしまうのでしょうけれど、

反ってその辺をはっきり説明せずに、機械が意識を持って…という設定にしてしまえば、

例えば「ターミネーター」などともつながる作りになるのかもしれませんですね。

 

作られた時代のことをも考え併せないと「なんだこれ?」になってしまう可能性、

まあ、映画に限った話ではありませんけれど、時代を取り巻く状況の変化は

SF映画でも予測できないところなのかもしれません。

 

と、そんなことを考えておりましたときに見かけて、「おお、そうであるか…」と思いましたのが

2022年7月29日でもって岩波ホールが閉館となるニュースでありましたよ。

時代を取り巻く状況の変化は、何も映画製作の面ばかりではなくして、

映画の鑑賞環境の変化にもつながっていたわけですなあ。

 

昨今あまり映画館に赴かない者が言えた義理ではありませんけれど、

(もちろん何度かは出かけたことはあるわけですが)

その個性的な作品チョイスは「いかにも岩波ホールならでは」感を強く、強く出しておりましたなあ。

 

これまでお世話になってきた映画館の閉館にはいくつも接してきましたですが、

それはあくまで器としての映画館が無くなるという思いだけでしたな。

それに対して岩波ホールの場合には、他の映画館で取り上げることのない映画が見られなくなる、

その点が大きな違いでもあろうかと思うところです。

 

惜しむ声はたくさん出ていて、もちろん理解できるところなのですけれど、

やはり鑑賞形態の変化(それにコロナ禍が追い打ちをかけたことは言うまでもないですが)は

とてもとても大きな要素であることと同時に、考えてみれば岩波ホール閉館は

取り分け東京とその近辺の人に限った(と言い切っては語弊がありましょうが)影響なのかも。

日常的にそうそう遠方から来られる人もないことでしょうから。

 

そう考えると、もちろん「映画は映画館で見てこそ」という思いもなくはないであろうものの、

この後、岩波ホールの上映作品アーカイブとこれまでの作品チョイスの路線を踏襲した新作とで

岩波ホールVODといったオンライン配信を行うならば、全国どこからでもアクセス可能になるわけで

それはそれで得るところもあるような気がしないでもありませんですね。

 

とまあ、話はずいぶんと違う方向に進みましたけれど、

今日のところは思いついたままつれづれに…ということで。