埼玉県西部、秩父地方をめぐって最後に立ち寄りましたのは「やまとーあーとみゅーじあむ」でして、

これまた以前に訪ねたことがあり、なおかつ所蔵品が棟方志功コレクションとは、

先日青森で棟方志功記念館に行ったことからして被りまくりといいますか、折も折といいますか。

ただただ、武甲山資料館のすぐお隣になるものですから、やっぱり寄ってしまいますなあ。

 

 

ここでまたお馴染みの画風による棟方作品をあれこれ眺め、勧められるままにビデオ上映も。

ただ、「これ、青森で見たのと同じであるなあ…」と思って、ビデオ機器を操作してくれた受付の方に

「青森の記念館で、こないだ見てきたような」という話をしますと、棟方の(ちゃんと制作された)ビデオは

これ一種だけであるようで。それより「青森に行ってきたんですか、いいですね」と言われてしまいまして。

 

さりながら、ビデオが一種類しかないということは、以前ここを訪ねたときにも同じビデオを見ていたのが、

青森で気付かなかったとは…。後から思えば「そういえば、うっすらと…」てな気もしますけれど。

 

ともあれ、そのビデオの中では鬼気迫る勢いでスケッチをする棟方が印象的であると同時に、

鼻歌まじりに板を彫る姿もまた印象的なのでありますね。でもって、その鼻歌というのがどうやら

ベートーヴェンの「第九」なのですよねえ。時折、節回しが妙な具合になるのはご愛嬌として。

 

かつてどこぞかの展覧会で「運命頌板画柵」なる作品を見たことがあるとは、以前も記しましたが、

画家はゴッホ、音楽家はベートーヴェンてな崇敬の念があったのでありましょうかね。

 

ただ、崇敬する作曲家の作品を鼻歌まじりで…云々と言い出すとすれば、それはお門違いなのかも。

先日、読響の「第九」を聴いたときに思い巡らしたとおり、この曲を「祝祭」、つまりは祭のイメージにつなげれば

祭は参加型であって、気分の高揚に連れて参加者がそれぞれに歌を口ずさむ(それが鼻歌であっても)のは、

むしろベートーヴェンの意図通りなのかもしれませんですね。

 

ちなみに、棟方志功がどのくらいベートーヴェンを意識していたか、

後付けで検索した結果としてはあまりヒットする記述がありませんでしたなあ。

 

それでも、先の「運命頌」ばかりではなしに「歓喜頌」なる大作(縦1m、横3m超)という、

まさに「第九」ゆかりの作品を残していることや、数ある「第九」の演奏を聴き比べた結果として

フランツ・コンビチュニー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管が棟方のお気に入りだったことが分かりました。

 

折しも年末、(先日読響のライブ演奏は聴いてきたところではありますが)せっかくですから、

コンビチュニーの「第九」で年越しといたしましょうかね。

 

 

話はすっかり「やまとーあーとみゅーじあむ」から離れて行ってしまいましたですが、

青森ほどに遠くでなくともたくさんの棟方作品に出会える同館は

11月末から3月中旬までの冬季は休業中ということです。念のためご参考まで(笑)。

 


 

 

とまあ、これで秩父の旅話の方も語り納めでひと段落ですけれど、

ちと立ち寄りたいところがありまして、甲府へ行ってまいります。

ですので明日、またお休みを頂戴いたしますです、はい。