山奥の三峰神社から秩父の市街地まで戻ってきたところで、
帰りがけ、もうひとつふたつどこかしらに立ち寄ろうかとなりましたときに、
「そこ、行ったことあるけど…」とは思うも、ドライバーが「行ったことがない」というからには
「どうぞどうぞ」となりますなあ、単なる便乗組としては。
ということで、出向いたのが秩父市街を見下ろす羊山公園、
その園内にある武甲山資料館を訪ねることになったのでありました。
秩父の盟主である武甲山、三峰神社同様に日本武尊との関わりある歴史を持つ山ですけれど、
秩父に赴くたびに触れておりますように、石灰岩の採掘で山容が著しく変わってしまった山でもありますな。
この日は雲が多くて望めませんでしたが、その姿は実に痛々しく…と、かねがね考えっておったわけです。
さりながら今回資料館を訪ねたことで、少しばかり考え方に変化が生じたのですなあ。
それに寄与したのが(前回訪問時には無かった…と思う)ビデオの上映なのでありましたよ。
武甲山と秩父周辺の山々を主人公にした絵本のようなアニメーション番組です。
これによりますれば、山懐に抱かれた秩父地方は昔から人々の暮らしが貧しかったわけですが、
周辺の山々が語り合って「どげんかせんといかん」となったとき、武甲山が自らの身を削って
人々の役に立つという道を選ぶことになるのですな。
他の山々は武甲山に思い直すよう求めるものの、人々のためになる手が他には無し。
なにしろ武甲山には他の山にはない石灰岩が採れることから、これが人々の暮らしの役に立とうというわけです。
結果、人々はなおのこと武甲山には手を合わせて感謝するようになっていったと。
とまあ、こんな話がアニメで紹介されて、最初のうちは
「要するに武甲山を削ってきたことのエクスキューズではないかいね」と思ったり。
さりながらもそっとよく考えてみますと、そうでもないかと思い始めたわけなのですなあ。
なんとなれば、自然環境に対する意識が今のようではなかった時代のことを、
遡ってとやかく言うのは必ずしも適当ではなろうということでありまして。
元来、ヒトは(ま、ヒトに限らないわけですが)さまざまな自然の恵みに預かって生きているわけですが、
その恵みは時を経て、季節を経て繰り返しもたらされることを経験から感じ取っていったことでありましょう。
ですが、やがて自然の循環をヒトの知恵が上回って、
根こそぎ取り尽くすことが簡単にできるようになってしまうのですなあ。
それが自然の営みとしての繰り返しに変調をきたすことも知り、ほどほど感をも学んでいったでしょうか。
自然の恵みの中には地中から得られる物も含まれて、
縄文時代の黒曜石や、古代から今に至る焼き物用の土、はまたま金、銀、銅なども、
それを得るためには地面を掘り起こし、岩を砕き、時には地中深く掘り進んだりもしたわけですなあ。
鋸山の垂直に切り立った壁も、大谷石採掘でできた地下宮殿も、この類のものであろうかと。
結局のところ、武甲山の山肌が削られるのも同じことなのですよね。ただ、武甲山に対しては
とりわけ「無残な姿に…」と思ってしまうのは、その山容を平地(秩父盆地)の遠くからも見渡せるからでしょう。
ですが、その無残な姿になっていくようすが土地の人々には目で見て分かることだけに、
おそらく山に対する感謝の念が忘れられることはなかったのかもしれません。
むしろ、採掘に携わる人たち以外には、どんな姿に変貌したかが分からない山中や地中の姿には
感謝も畏敬も感じることはないでしょうから。
資料館のアニメーション番組では、まだまだ山村の貧しい暮らしの中にあった秩父地方に、
武甲山がその身を削っていくばくかの豊かさをもたらしたこと以上に、
そのことに対する人々の感謝があったと感じられたりしたところから、
このほどの思い巡らしにつながりました。
これもひとつの見方というわけで、ものごとはやはり、一面だけを見て知った気になってはいけんと
改めて思い知るのでありましたよ。それでも、この後もさらに武甲山は削られ続けるかと思うと…。