都心にはあまり出る気にならないのですよね…と言いつつ、
読響の演奏会を聴きに池袋の東京芸術劇場に出かけてしまったわけですが、
普段はJR中央線快速で新宿に出、山手線に乗り換えて池袋というルートをたどるところながら、
いかにも人の多そうなこのルートを通らずに、なんと西武線で所沢に迂回して出かけたのですなあ(笑)。
もっとも西武池袋線沿線にある練馬区立美術館に立ち寄りたいがためだったのですけれどね。
折しも「電線絵画展」なる企画展が開催中でありまして。
たとえば風景写真を撮ろうとしたときに、「ああ、あの電線が、あの電柱がじゃまだなあ」と思うことは
ままあることですけれど、おそらく絵画においても同様であろうと思うところながら、敢えてこれを描き込む、
そんなこともあったのですなあ。
ひとことで電線、電柱と言ってしまっておりますが、そも始まりは電信のためのもの。
ですから、電気を送る電線、電柱(でんちゅう)とは区分けて、電信線、電信柱(でんしんばしら)というべきのようで。
昭和生まれとして(すでに電信、つまりは電報が必ずしも一般的ではなくっていたにも関わらず)、
「でんしんばしら」という言い方は確かにあったなと思うところですけれどね。
とまれ、電信技術はペリー来航の折に持ち込まれた機材によってお試しがなされたそうですけれど、
日本にとっての正式導入は明治2年(1869年)、築地にあった東京運上所(後に東京税関と改称)内に
電信局が開局し、東京・横浜間に電信柱が作られたのが始まりであると。
(かつて築地と横浜双方で電信開始にまつわる碑を見たことがありましたですよ)
まさに電信柱が並ぶ姿は文明開化の先駆けを行く景観だったのですなあ。
こうなりますと、時事ネタ的なものを追いかけることがあった浮世絵の系譜を引く明治の錦絵には
最新の景観として電信柱と電信線のある風景を描くことが当然にしてあったわけですね。
あたかも蒸気機関車の絵がたくさん描かれたように。
ですから、明治の風景画で夙に名の知られる小林清親も、
明治9年に描いた「東京五大橋之一 両国橋真景」でもわざわざと思えるほど中央に電信柱が立っている。
江戸にあらず、これぞ明治の東京ということなのでしょうなあ。
遠景には富士の姿も望めますが、山頂付近を電信線が通っているでありますよ。
まあ、明治も初年のうちはこれも新しい景観とされたのかもしれませんですが、
やがて明治20年(1887年)には茅場町に電燈局(という名の火力発電所)が設けられ、
電信線とは別に電線も通うようになります。
さらに、明治36年(1903年)には馬車鉄道で始まった東京の路面電車が電化され、
電車のための架空線もまた人々の、頭の上を通ることになりますので、
東京(だけではないとは思いますが)の町は、見上げると行き交うケーブルだらけという状況になるのですなあ。
こうした変化を呈するのも文明開化の進む「今」を切り取って描く対象とはなるのかもしれませんけれど、
さすがに風致を害すると思う向きも当然ながらありますよね。
先に小林清親は積極的に?描き込んだと言いましたけれど、
一方で高橋由一や吉田博は景観を描くに邪魔なものという意識があったのでしょうか、
あえて電線・電柱を描かないという人たちもいたようですし、それ以前に上野公園には電気が灯るも、
浅草公園は電柱・電線が風致に影響するとみて、電灯に反対されたこともあったようで。
まあ、浅草といえば江戸情緒の最後の砦みたいな見られ方があったのかなとも思いますが、
一方で新奇なものが嫌いなわけではなく浅草十二階(凌雲閣)には国内発のエレベータが設置され、
そもそも当時として超高層ビルは風致に影響ないのか…?と思ったりするところですけれど。
と、余談はともかく、電線・電柱は美的景観を損ねるものと単純に結び付けてしまいがちながら、
展示室の解説にあったこの一文もまた、「そうだよなあ…」と思えますですね。
(電線・電柱のある風景は)私たちにとっては幼いころから慣れ親しんだ故郷や都市の飾らない、そのままの風景であり、ノスタルジーと共に刻み込まれている景観でありましょう。
「三丁目の夕日」などもそうかもしれませんですが、たくさんの電線が渡っている路地裏などには
妙に懐かしさを感じるところがあるかもしれません。しかし、だからといって上のフライヤーのように
富士山を切り取ろうとして電線・電柱があったらフレームの外に置くだろうなあとも。
そうではありますが、ありのままの姿を捉えて提示することに何かしらメッセージを託すというのも
アートとしてのありようではありましょうね。そんなふうにも考えて見ますと、
電線が、電柱がと一刀両断にはできなくなってくる。そんな思い巡らしを呼ぶこともまた、
展覧会の意図であるのかも。アートの面白いところでもあろうかと。
そんなふうに考え直してみますと、電柱には付き物の、さまざまな碍子がさも焼き物を展示するように
ガラスケースの中に陳列されているのを見て、工業デザインを見るかのように
そのデザイン性に着目して見入ったりしてしまうのでありました。
とにもかくにもユニークな視点の企画展でありましたよ。