先に見た解説板で神奈川運上所 がかつては神奈川県庁の場所にあったと
説明されていたものですから、県庁の方に回ってみますと、
これがまた見えても見えなくてもお構いなし状態で碑がありました。
これだけではどうしたって「史跡 神奈川」しか読めませんですが、
少々回り込むと別に解説板があって「神奈川運上所跡」であることが知れるのでありますよ。
と、目の前の港郵便局前交差点を東へ渡った向こうは交差点名どおりの横浜港郵便局で、
このラッパを吹く天使像が何やら由緒ありげかしらむと思えば
「外国郵便開始80年記念」の像であるとか。
ですが、近寄って気付くことには、いろんな看板に紛れてしまっている別のプレートの方が
より歴史を伝えている気がしますですね。
「外国郵便創業の局」とは、ここで初めて外国郵便を扱ったということですものねえ。
今度は交差点を南に渡ってみますと、なかなかに重厚な面構えのビルに出くわします。
かつては関東大震災後の横浜の商工業復興を図る目的で建てられた
横浜商工奨励館という建物であったそうな。
現在では横浜情報文化センターとなって
日本新聞博物館や放送ライブラリーが入っているとのことですが、
そうした使われようになっているからでしょうか、裏道に曲がるビルの角には
こんな像がありましたですよ。
新聞少年の像ですなあ。
かつては新聞の束を抱えて走って、配って回っていたのですよねえ。
今でも新聞奨学生という制度は残っているものの、
ほとんどブラックバイトのように見られる場合もあるようで
健気に働く苦学生ながら将来の夢は大きく…といった受け止め方も
過去のものなのでしょうかね。
先ほどの港郵便局前交差点を今度は東から西へ。
渡った先は横浜地方検察庁ですけれど、その一角には「電信創業の地」碑がありました。
明治2年(1869年)12月25日、この場所にあった横浜電信局と東京電信局との間で
日本で初めての電報の取扱いが行われた…ということですが、あれ、これに関しては
東京側にも碑がありましたなあ。確か築地 で見たような。
両者では、ちょっと説明の仕方に違いがあるようですね(と、当時書いたのを見てみれば)。
というところで、いろいろな「初めて」を見て回りいささか遅めになったものの、
演奏会の前に昼食をとっておきたいと会場である開港記念会館の裏あたりを徘徊し、
食事にあたって個人的初めてに遭遇したのでして。
横浜にいながら中華街でない、普通の街なかの中華屋に入ったところ、
目にとまったのが「サンマー麺」というひと品。
かつて目黒で「サンマ・カレー」というのは食したことがありますが、
まさか「にしんそば」ならぬ「さんま麺」?…という想像はしないものの、お試しで。
店内の灯りの加減もあって、単に麺類であるとしか判別できないでしょうけれど、
このサンマー麺なるもの、Wikipediaによれば「神奈川県のご当地ラーメンで
南部を中心に広く浸透しているラーメン」と書かれておりました。
一応、「細麺を使った塩ラーメンもしくは醤油ラーメンの上に、歯ごたえが残る程度に炒めた
モヤシ入りのあんをかけた麺料理」だということですが、ここのは塩味。
実にあっさりして少し物足りないくらいではありましたが、
半チャーハンと食すにはほどほどだったのかも。
と、個人的には初めてのサンマー麺体験をして、
いよいよ演奏会場である横浜市開港記念会館へ向かうのでありました。