「かちどき 橋の資料館」の橋向こう、月島、佃島 、越中島、そして門前仲町 へと続くあたりは
以前ぶらりとしましたので、このたびは隅田川を渡らずに築地界隈をぶらりとしてみることに。
多少の情報くらいは仕入れてと思ったものですから、
まずは「タイムドーム明石」という施設を目指したのでありますけれど、
「タイム」という言葉と「明石」という地名が来ますと、
自ずと「日本標準時との関わりが?!」と思ってしまうところ。
さりながら、この施設の本来は中央区立郷土天文館というもの。
場所が中央区明石町にあって、郷土資料をタイムカプセルのように閉じ込めてある…
てなところからの愛称が「タイムドーム明石」なのでしょうねえ。
それにしても、複合的な施設の場合にありがちな「ともかく、くっつけてみました…」的な名称は、日比谷図書文化館というのにも違和感を覚えたことがあkりますけれど、
こちらもまた郷土資料館にプラネタリウムが併設されているところからとはいえ、
郷土天文館とは何とも異なものではありませんでしょうか…。
とまれ、今回プラネタリウムはパスしてもっぱら郷土資料館として覗いてみたですが、
さすがに東京都中央区は日本橋やら銀座やらを抱えているだけあって、
とりわけ近世以降の歴史的な展示には事欠かないようす。
ただ、日本橋、銀座といった辺りは今でも賑わいを失ってはおらない一方で、
ここでちいとばかり注目したいのが、地元明石町を含む築地界隈でありまして。
幕末に結んだ日米修好通商条約(1858年)を皮切りに、
幕府では諸外国と条約を結んで横浜や神戸といった港を開港して
外国人居留地が設けられていきますけれど、
東京もまた開港ならぬ開市されて作られたのが築地居留地であって、
まさに「タイムドーム明石」の、この辺り。
港の居留地は貿易の関係から商人が住まったようですが、
築地居留地に多くみられたのが宣教師、医師、教師といった職業の人たちだったとか。
(結局、宣教師であって医師でもあり、教師でもあり…だったのではないかと)
確かに周囲をぶらりと回っただけでも、学校関係の碑をそこここに建てられているのでありますよ。
ちょこっと歩いただけでも、ここにもある、あそこにもあるとざっくざく状態。
これは何も学校関係に限らず、他にもいろいろと目につくのでして、
こんな面白いところだったんだ、この界隈はと思いを新たにすることに。
まずは「電信創業の地」碑。
明治2年(1869年)、築地にあった運上所と横浜裁判所とに設けられた「電信機役所」の間に
電信ケーブルが架設され、業務を開始。これは日本初の公衆電気通信であったそうな。
こちらは日本史における超有名外国人、シーボルトの像。
この界隈は江戸蘭学発祥の地とも言われていて、
シーボルトの娘いねが産院を設けたのもこの辺りということから、これがあるようです。
で、蘭学絡みとなれば、やはりこれですなあ。
クローズアップしてもまだ見難いですが、「解体新書」の挿絵の一部と思われます。
「蘭学の泉はここに」という碑ですけれど、杉田玄白や中川淳庵が集った前野良沢の住いが
やはりこの辺りにあったということなのですね。
最後に幕末維新から少し離れたものを二つほど。
ひとつは「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭 の邸跡の碑、
もうひとつは「芥川龍之介 生誕の地」解説板であります。
いずれも今ではすっかり聖路加病院になってる…ようではありますが、
それにしてもこの界隈、あまり予備知識もなくぶらりとするのでは
もったいなかったかもしれんですなぁ。