思った以上に渇いていたのだなあと思ったのでありますよ。
一年前くらいまではほぼひと月に一度くらいは耳にしていたオーケストラの生の音、
昨年2月以来久しく途絶えておったのですが、このほど出かけてみましたら、
演奏が始まって流れ出る音がなんだか体にじわ~っと染み入るような気がしたものですから。
奇しくも指揮は山田和樹、昨年2月の演奏会に登場した指揮者の演奏でまた聴くことになろうとは。
しかも、メイン・プロがレスピーギの「ローマの松」というオーケストラならではの色彩感、
そしてダイナミクスを堪能できる曲であったことは僥倖というべきでもありましょうか。
高校時代、この曲を(といっても最終楽章の「アッピア街道の松」だけですけれど)
吹奏楽版で演奏したことがありまして(といってもバンダの一員ですので出番極めて少ないですが)、
そも今度演奏する曲が「ローマの松」と知らされたときに「ローマの松ってどんな曲?」という具合でしたですが、
練習場所である音楽室のバックヤードでLPレコードを見つけ(CD発売以前の時代ですから)、聴いてびっくり!
何という爆演系の曲であるかと。
実際に(アッピア街道の松)の演奏に携わってみて、もごもごとした低音のみから始まり、
じわじわじわとクライマックスへと上り詰めて行く途中、途中で鳥肌感を感じたものです。
その後にこれをライブの演奏で聴く機会があったかどうか、もはや記憶にないくらいですけれど、
録音では何度も聴いているにせよ、久しぶりに生音の鮮烈さに身を浸すことになり、
すでに曲の展開としてはネタバレながら最後の最後には「ぞわぞわ感」が湧きおこる。
これは家でCDなり、レコードなりを聴いているのとはやはり異質の音楽体験でもありましょう。
これまでの1年余、演奏会が中止になり、再開されたのちも
なかなか都心のコンサートホールに出かける気になれずにおりましたけれど、
最初に申しましたようにこの間、響きを肌で感じるということに、すっかり日照り状態となっていたようです。
それだけに思うことは、やっぱり音楽体験は音を直に耳にし、肌で感じるということに敵うものはないのでしょう。
オーケストラという形、構成するひとつひとつの楽器、その演奏技法、またそれらを踏まえて作り出されてきた楽曲、
それらが変化しつつ、聴衆と共に作り出す音楽体験はこの形でとなった結果として、
今ある演奏会のような形に結実しているのでしょうから。
もっともその形が完全に不変であることはないでしょうねえ、きっと。
折しも新型コロナウイルスの脅威にさらされて、歴史的結実たる演奏会の形では行いえなくなったとき、
人はさまざまな代替手段を考えてきたことでもありますし。
それはあくまで代替であるとはしても、その形の方にこそ利がある場合もまたありそうですが、
その方面の取り組みに、個人的にはいささか冷ややかな視線を送っておりましたなあ。
なににつけ、たくさんが一斉にひとつの方に流れる…といったありよう自体に
眉をひそめてしまう質だからではありますが。
とまれ、久しぶりのリアル音楽体験は、音楽には間違いなく人に及ぼす「力」があるということを改めて。
今さらではありましょうけれど、そんなことを思わせるほどに渇いていたということでありましょうか。
もちろん、読響の演奏、強烈に圧のある爆演でありましたですよ。