どうにも身動きのとりにくい状況が続いている折から庶民感覚で素直に考えれば、
まあなるべく遠くに行かずに済むお楽しみ要素をとことん追求するとしようかとなるところでして、
ムサビの美術館詣でなどはその最たるものですけれど、このほど出かけたのは八王子市夢美術館、
「近代西洋絵画名作展 印象派からエコール・ド・パリまで」が開催中なのでありますよ。
それにしても展覧会タイトルがチープな印象でありますねえ。
こういっては何ですが、デパートの催事場で行われる展示即売会的でもあろうかと。
されどこれが実は侮りがたし、何となれば展示作品は笠間日動美術館コレクションであるのでして。
茨城県笠間市はやきもので知られた町ですけれど、そこにある笠間日動美術館、
30年ほど前に一度訪ねたことはあるものの、当時はまだまだ今ほどに美術館巡りを楽しむようにはなっておらず、
いわゆる観光スポットのひとつとして立ち寄ったてな感じでしたなあ。
それでも、(そのときでさえ)有名な画家の絵がたくさんあるとは思ったものです。
その名のとおりにこの美術館、東京・銀座にある日動画廊の創業者が設立したわけですが、
いささか絵を見ることに興味を持ち出してから銀座の日動画廊も訪ねてみたことがあります。
銀座界隈には路地裏のビルの中など、画廊・ギャラリーがひしめくほどにありますけれど、
そんな中で日動画廊は銀座5丁目、外堀通りに面してソニービルのお隣という立地で、
なかなかに敷居が高い。おいそれと銀座・和光に入れない…のと同じとまでは言いませんが。
とまれ、そんな日動画廊のことにつきまして、本展解説の中にあった紹介によりますと、
東京・京橋のブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)コレクションの目玉のひとつとなっている
セザンヌの「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」を、ここに納めたのが日動画廊であると。
やり手といいますか、パリの美術界とのつながりの強い画商だったのであろうなあと思ったものでありますよ。
そんな画商の肝いりで作られた笠間日動美術館、
いったい画廊での商売と美術館での展示、この境目やいかに?などと考えてしまうところもありますが、
それはさておき、印象派からエコール・ド・パリに至る百花繚乱の作品を思う存分堪能してきた次第。
何しろ空いてますのでね、最高の環境です。
このときは他に同行者がふたりおりましたですが、そのうち一人が目をとめたのはユトリロの作品でして、
代表作として知られるものではないとはいえ、いかにも見るからにユトリロらしい一枚でしたが、
そのお隣に展示されていたのが画家のパレットなのですよね。
しかもそのパレット、ひねり出した絵の具が並ぶ隙間の余白部分には画家自らの手になる絵が添えられている。
日動美術館にはさまざまな画家のパレットが見られる展示室がありますけれど、
パレット・コレクションを始めるきっかけとなったのが、このユトリロのパレットであったそうな。
集めたくなる気持ちも分かる、そんな作品(?)でありましたよ。
で、もう一人の同行者が目を止めたのはシャガールの「花束とカップル」という一枚。
もうタイトルからしていかにもな作品ですが、色遣いが華やかながらどこかしら陰りがある、
シャガール自身の画家人生を作品から垣間見ることができるのですよねえ。
ちなみに個人的に目が釘付けとなりましたのはボナールの「室内の裸婦」(1912年頃)ですなあ。
画家を紹介する解説文には「レアリスムとしての印象派の光を嫌い、最初に得た観念を再現するために
色彩を使用した」とありまして、確かにレアリスムではなかろうなあと。
タイトルにも「裸婦」とありますけれど、裸婦そのものを描くことは端から念頭にはないようですから。
古来、裸婦を描くのは(それを神話世界に仮託しようとも)あくまで女性の裸体の美しさを描き出すことが
もっぱらの課題であって、そこにはどうしたってレアリスムの要素があろうところかと。
アングルその他、デフォルメを持ち込んだとしても、それは裸婦そのものの美しさを追求するあまりでしょうし。
ところが、室内の裸婦を描いてボナールは光に包まれた姿を描いているのですよね。
それは必ずしも裸婦そのものが主題であることを通り越している、解説にありますように
「最初に得た観念の再現」なのだなあと思ったものでありますよ。
それがとても美しいのですから、目が釘付けにもなろうというものです。
もっとも、ベルギー王立美術館コレクションにある「逆光の裸婦」にもやはり目が釘付けになりましたように、
元よりボナール好きなことから「この一枚」になるのはいささか贔屓目でもあったりするのですけれど。
と、ここでは3点に触れただけでして、展示作品数も少なめであることからしても、
一度訪ねたその後に施設が拡張されているらしい笠間日動美術館、折を見てまた訪ねてみないといけませんなあ。
どうも次から次へと訪ねてみたい美術館は増えるばかりであるにもかかわらず、出かけにくいご時世であるとは。
茨城県ついでに思い至れば、水戸黄門様ではありませんが、コロナに対して「鎮まれ、鎮まれ!!」と
申し渡したいところではありませんでしょうか。