相変らず近いところのでのお楽しみを模索するようになっておりますけれど、
このほどは展示が変わった武蔵野美術大学美術館へ出かけてきたような次第でありまして。
それでもヴァリエーションある4つの展示と民俗資料室まで覗きますと、
結構たっぷりとしたお楽しみになるものですから。
で、まずはこちらの展示、「十時啓悦 樹木と漆と暮らし」展から見ていくことに。
漆芸といいますと日本の伝統工芸技術であって、イメージするところはつるつるぴかぴかの仕上げ。
単純にも、これこそが漆器であると思い込んでいたところへ、のっけから「え?違うの?!」と。
伝統の工芸技術を生かしながら、新しい表現を追いかける中でのことでしょうけれど。
展示室入口部分には配された、あたかも土器のようなもの。これも漆で仕上げたというものなのですなあ。
なんでも「錆付け」という手法なのだそうで、生漆に砥の粉と木の粉を混ぜたものを塗ってあるもので、
本来的には下地として施すものであるとか。ですから、一般的な漆器はこれの上につるつるぴかぴかの層を作るのでしょう。
ですが、こうした下地に用いる技法を仕上げに用いる、コロンブスの卵的でもありますが、
これが何とも味わいあるものに思えたものなのでありますよ。ま、焼き物でいえば
個人的好みがつるつるの磁器よりもごつごつの陶器の方が興味深く感じる方だからかもですけれど。
ところで、もちろんつるぴかの作品の方も作っておられるこの作者、
漆芸はベースになる器を木工で作り出す木地師、漆の塗りを施す塗師、そして煌びやかな装飾を手掛ける蒔絵師など、
分業の集大成であったりするところを全てひとりでやっているのだそうでありますよ。
それだけに作品に対する思いは強く、こんなことを語っているようです。
私が作りたいと思っているのは、鑑賞用の美術品ではなく、暮らしのなかで使えるものです。
要するに「用の美」でありますね、民藝運動にも通じる。
されど前にも触れたですが、民藝運動で注目を浴びることになった作家たち、
ご本人は「用の美」を思って作品を作っていたのかもしれませんが、どうも周りが放ってはおかず、
結果、作品は高値で取引されるようにもなって、もはや庶民感覚で普段遣いの品とは言えなくなってしまい…
ということがありますですね。どこかボタンを掛け違えてしまったような。
本展作者の場合には、そも自ら作り出した器類は展覧会で展示されることにいささか違和感を抱いてもいるようす。
それだけに、展示空間にはそれなりの設えを考えたようですね。
もともと漆器には黒色系と赤色系があって、
赤色系の方は「本朱」と「洗朱」(オレンジっぽい色になるようです)とに分かれるのだとか。
そして、本朱のイメージが静的であり、和風であるのに対して洗朱は動的であり、洋風であると。
そこで、2つに区切られた展示スペースでは、まず明るい光の下、洋間の想定でもありましょうか、
洗朱の器が並ぶのですなあ。
奥に回ると、そこにはやや陰った空間となって、奥まった座敷間のイメージの中、
本朱の作品が並ぶという具合でありましたよ。
それにしても採光という点で、古来の日本家屋の奥まったところなど、
なかなか日の差し込まない部屋もあったことでしょうけれど、そうした場所にこそ漆器は適していたのかも。
そもそもからして、木製品の器に漆の上塗りをすることで耐久性を増すものとばかり思っておりましたが、
確かにそうした側面はあるものの、漆は「紫外線に弱く、劣化しやすい性質」というからには
陽光さんさんではない室内利用が前提ともなっておりましょうから。
いやいや、いろいろとためになる展示でありましたよ。