ようやっと「焼きもの」にも目を向けるようになってきた今日このごろながら、
それでも陶器から磁器へという興味の広がりはなかなかに進まずというところでして。
しばらく前にたましん歴史・美術館で見た古陶磁展 でもって、
焼きもので有名な「伊万里」は本来焼きものそのもののことではなくって、
積み出しの港のことだった…てなことを知ったりしながら、
興味喚起のトリガー待ちだったりするわけですけれど、
「待ってばかりいてもね」と出かけていきましたのが、八王子市夢美術館 。
「粋な古伊万里 江戸好みのうつわデザイン」展を開催中だものですから。
まずは展示解説に従って、日本の磁器の成り立ちを振り返っておこうと思いますが、
江戸初期の1610年代に朝鮮半島の技術を導入して、肥前有田で日本初の磁器が誕生したと。
なぜ有田であったかという点では、昨年10月放送のNHK「ブラタモリ」で紹介されていたように
材料になる「陶石」が日本で最初に、しかも大量に見つかった場所であったからだそうですね。
1640年代になりますと、明末清初の混乱(李自成の乱やら、後には太平天国の乱やら)を
逃れて中国人陶工が渡ってくるようになり、中国の窯が廃れた関係からも日本の製品が
中国陶磁の代替品としてヨーロッパへ輸出されるようになった。その際の積み出し港が
伊万里であったのですなあ。
デザイン・意匠の点で最初期には中国製品を真似たものが作られ、
高台裏の銘まで中国磁器に倣ったものを入れていたりしていたのだそうな。
中国の本場ものは高値で取り引きされていたところへ銘まで真似た日本製が出回るとは、
あたかもコピー商品で騒がれる今の中国と裏返しの関係であったのでしょうか。
ま、悪意があったというよりも、まずはとことん本物そっくりを再現することに
意を注いでいた結果ではあるのかも。17世紀も半ばになると、
既存の意匠に独自のアレンジを加えたり、そもそも和様である文様を配したりするように
なっていったということでもありますし。
ということで、日本において舶来ものよりいくらか敷居の低くなった磁器は
白く滑らかな地肌が清潔感にもつながって、食器として大いに普及していくことになったとか。
伊万里焼と言われるものの代名詞に大皿がありますけれど、
何だって大きな皿をありがたがるのだろう…と、この辺もまた個人的には磁器の不思議と
感じていたところながら、磁器が普及することによって庶民も普段使いするものの、
格式ある場所で用いられるものには(当時の感覚として)実に美しい文様が施されていたのに
いわば庶民はあこがれたのでもあるかと、ようやく思い立ったのでありますよ。
何かしら儀式のようなハレの場で使われるなら、大人数も集まって当然に大皿が使われ、
そこには色鮮やかな意匠が凝らしてあったとなれば、屋台の寿司屋、天ぷら屋などで
品物を並べてあって普段見掛ける大皿とは明らかに品物が違うと気付いたでしょうし、
「あんなにきれいな大皿を一度は手にとってみてえものだなあ」と
江戸っ子庶民が思ったのかもしれませんですなあ。
ま、個人的にはその江戸っ子感覚から離れてしまったようで磁器の有難味も今ひとつと
受け止めてしまってはおりますが、さまさまな意匠などで区分けされた展示の後に、
古伊万里を用いたテーブル・コーディネートが飾られてありまして、
これを見たときには「なるほど華やいでおるなあ」と思ったり。
和様の祝膳用とイタリアンのコースに合せてそれぞれに体裁よく陶器類が並べられたようすは
もちろんコーディネートの巧みさにもよるとは思いますが、磁器敬遠派?でも「おお!」と
思ったものでありましたよ。
とまあ、少しだけ磁器との距離が縮まったかなという気になった展覧会。
今後も機会を得て少しずつ「なるほど」の度合いは増えたりするのかもしれませんです。