先日、たましん歴史・美術館の企画展「東洋古陶磁展~造形と意匠」
で見たことを
もそっと続きを書きましょうと申しつつ、いささか先延ばしになってしまって。
先だっては焼きもののことというよりも考古学出土品のお話のようでありましたが、
とにもかくにも日本の焼きものは大陸や半島から伝来する最新技術を取り込んで
自らのものにしていったのであるなあとは、今さらながら。
ですので、とかくにして伝来の文物を珍重する傾向があるわけですけれど、
どうもあまり日本では普及しなかったというものもあるようで。
これは「陶枕」というものでして、要するに陶器でできた枕ですな。
中国では「枕」に不老長寿の夢を見る特別な力があるようにも信じられたところから
「枕」にはあれこれ凝る傾向があったのでしょうか。
「陶枕」の固さはともかくひんやりした肌触りが盛夏の納涼の道具とされたようで、
唐・宋時代の中国では流行したのだとか。
日本には鎌倉期に伝わり、奈良・西大寺からは大量出土したようですが、
一般に広く普及することはなかったのだそうですよ。
ただ、しばらく前のEテレ「古典芸能への招待」
で見た「邯鄲」のような
枕絡みの謡曲が(中国の話の借り物としてであるにせよ)作られたりしていますので、
「陶枕」は流行らなかったものの、枕に不思議な力がありそうという発想の方は
受け入れられていたのかもしれんなあと思ったりしたですよ。
と、話を焼きものに戻しまして、いかにももの知らずの備忘といったことを。
まずもって、焼きもの、磁器にはひび割れのあるものがありますですね。
油絵の中にも画面がひび割れまくってしまっているのが見られると、
「時代が経ってしまったからねえ…」などと思うものですから、
磁器のひび割れも同じようなもの、つまりは経年劣化のなせるわざでもあるかなと
思っていたところが、どうやら全く違うようでありまして。
「貫入(貫乳、開片)」と呼ばれて、ひび割れは「装飾」と見做されているとか。
意図的にひび割れを作る「貫入釉」もあるのだそうですなあ。
「使用しているうちに食べ物の色がしみ込み、うつわの変化を楽しめる」と
解説にはありましたけれど、そうした装飾としてひび割れを見てこなかった者にとっては
俄かには「そうですか」とならず「そういうものかなあ」という気が。
ま、次の機会には端からそういうつもりで見る用意はできましたけれど。
ところで、白の地に青い文様を浮かせた磁器を「青花」といい、
日本では「染付」と呼ばれるそうですが、日本では17世紀に
九州の有田で作られるようになったと。 で、製品の搬出に伊万里港が使われたことから
「伊万里」と呼ばれるようになったというのですなあ。
あたかも伊万里という土地で焼いた「伊万里焼」なるものがあるような気がしてましたが、
これももの知らずの故でありました。有田焼や鍋島焼(藩の直営窯で作られたもの)など、
伊万里港から積み出された焼きものの総称が「伊万里」であるというようで、
ひとつ勉強になりました。
ちなみに17世紀後半の中国では明から清へと王朝が交代する動乱期にあたり、
確立したブランドであった景徳鎮窯の生産が停滞してしまったそうな。
それに代わってオランダ東インド会社を通じた受注が急増した「伊万里」の焼きものは
急速に独自技術をも発展させていくことになったそうでありますよ。
おっと、結局のところはまたしても歴史の話になってしまいました。
すぐにわき見をしてしまうとは、焼きものを愛でる道はまだまだ険しく遠いようですなあ。