徐々にオーケストラの演奏会も再開されるようになって、先月分は席を減らして(年間会員券は持ってはいても)
抽選で当たると演奏会に行けるてな具合になってきていた読響ですけれど、10月公演は
「政府から客席数の制限緩和についての発表を受け、…客席数の制限を緩和し、通常の客席数で開催します」とのこと。
ついては、欠席希望の場合には予め欠席理由を付してチケットを送り返すようにと
連絡されていたわけですが、今回の選択は「欠席」と返答していたのでありまして。
当初の演目はストラヴィンスキーの「春の祭典」が予定されており、
久しぶりに「ハルサイ」の実演にぞくぞくしたいと思っておりましたが、
予定の指揮者が来日できず、ピンチヒッターに登場するのがコバケンで、
しかも「英雄」を振るというのはお楽しみでもあるとは思ったのですけれど…。
実際に蓋を開けてみて、どれほどの人が入るものかは予測しかねますが、
それでも「通常の客席数で開催」というところに、まだまだ引っ掛かりがありましたが、
さてはて昨日のこの演奏会、どんな具合だったですかねえ…。
ということで、出かける代わりに自宅で束の間の演奏会気分ということになりますが、
アニバーサーリー・イヤーとはいえ、ベートーヴェンばかり聴くのもなんですので、
今回の演目で着目したのはラフマニノフの「パガニーニの主題のよる狂詩曲」の方、
その実、この曲そのものに目(耳?)を止めるというよりは狂詩曲、ラプソディーの方でありましたよ。
英語でラプソディー、訳して狂詩曲となるわけですが、これまで気にも留めなかったものの、
ふと思うと「狂詩」っていったい?てなふうにも。そこで、改めてラプソディーとは?というあたりを
「コトバンク」で見てみますと、このように。ちと引用させてもらおうかと。
一九世紀にヨーロッパで数多く作曲された自由で幻想的な楽曲。叙事的・民族的な性格のものが多い。
これまで「狂詩曲」、「ラプソディー」というタイトルを持つ曲にはたんと接してきましたですが、
「そうであるか。民族的性格のものが多いのか」と。確かに狂詩曲といって真っ先に思い浮かぶのは
リストのハンガリー狂詩曲第2番だったりしますし、クラシック音楽以外でもタイトル付けに使われて、
例えばクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」もまた「ボヘミアン」とは民族的な。
といってここでのボヘミアンは、ボヘミアの、ロマの…というよりは、
プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」に出てくる自由に生きる人たちのことでありましょうけれど。
とまれ、ラプソディー本来の意味合いがそういうところにあるということですので、
自宅在庫のCDの中からかような一枚を取り出してみて、なるほどねと思ったものなのでありますよ。
アルバム・タイトルは「Rhapsody」で、デュトワ指揮、モントリオール交響楽団の演奏する狂詩曲の数々を収めた一枚。
これの収録曲を振り返ってみますと、こんな曲名が並んでいたものですから。
- フランツ・リスト/ハンガリー狂詩曲第2番
- アントニン・ドヴォルザーク/スラブ狂詩曲第3番
- ヒューゴ・アルヴェーン/スウェーデン狂詩曲第1番
- ジョルジェ・エネスク/ルーマニア狂詩曲第1番
- アレクサンドル・グラズノフ/東洋風狂詩曲
見事に民族的な雰囲気であることが窺い知れるではありませんか(そこまでの意識は無かったですが…)。
そして、「民族的」であるが故でしょうか、バラエティーに富んだ曲の集まりであるなとも。
考えてみれば地域、民族に根差した音楽が展開するわけですから、
その旋律は民謡だったり、民族舞曲だったりからの引用が多くあるわけでして、
民謡、舞曲、いずれもが民衆の音楽、分かりやすくないわけがないとも言えるのですよね。
で、その色合いのほどですけれど、それぞれに個性的ではありますけれど、
取り分け(これまた今さらながら)意識したのはルーマニア狂詩曲なのですなあ。
聴いていて「ああ、ホラ・スタッカートっぽい」と思ったのもむべなるかなでありまして、
そもそも「ホラ」というのがルーマニアにある曲の形式であるということですから。
とまあ、そんな具合に引っ張り出した1枚のCDに収められた数々のラプソディーでもって、
今宵は音楽の世界紀行と参りますかね。演奏会の代わりに…。