ちょいと前に、開催が見送られた3月の演奏会のプログラムを再現する?自宅イベントをやってみたですが、
4月もまた読響の演奏会は取りやめでして、まあ、これは読響に限った話ではありませんな。
先週のEテレ「クラシック音楽館」では、ついにN響の最近の演奏会アーカイブが底を尽きたのか、
音楽家からのメッセージが放送されたくらいですし。
とまれ、先の自宅イベントと同様のことを失われた4月演奏会のプログラムでもやってみようというところながら、
先にはこだわりのレコードで臨んだものの、今回はプログラム的に手持ちはCDのみ。ま、これはこれで。
ちなみにプログラムはサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番、そしてベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」で。
で、今回このプログラムを再現する自宅イベントに取り出だしたCDはといいますれば、
まったく年代の異なるこの2枚なのでありました。
サン=サーンスの方は後にも先にも1枚切り持っておりませんので、自ずとこれ。
ヴァイオリン独奏はピエール・アモワイヤル、シャルル・デュトワがフランス国立管を振った演奏でして、
これでもかというフランス尽くしでありますね。
サン=サーンスのヴァイオリン曲には有名な「序奏とロンド・カプリチオーソ」のような、
いわゆる「かっちょええ」系作品がありますが、このヴァイオリン協奏曲第3番もまた、ですよねえ。
渋い音色でのっけから迫ってくるツカみはもとより、終楽章のコラール(金管がいいですなあ)まで聴かせますな。
つくづくこの曲を演奏会場で聴けておればなあと、自宅イベントの欲求不満に拍車が掛かってしまうところです。
一方、ベートーヴェン「英雄」の方は、ひと頃この曲に入れ込んだことがあり手持ちのCDは20種くらいありますかね。
その中で個人的には最もお好みの1枚がこのエーリヒ・クライバー指揮、ウィーンフィルでありまして。
1955年のモノラル録音ながら音質的に(やや細いのは仕方がないとして)問題はありませんし、
ナチスを忌避して、戦争中は南米に活動拠点を置くことになってしまったクライバーが
ようやっとヨーロッパでの活動を再開し、故郷のオケを振るのに腕まくりして臨んだかのようなのでありますよ。
大時代がかった重厚さというよりも、むしろ早めのテンポでシャープに進む第1楽章などは
息子カルロスのベートーヴェン演奏を思い出させるような気がしてくるという。
少し早めのテンポで進められる引きしまった表現は、余分なものは少しもなく、音楽的にきわめて充実した内容をもち、きき手に積極的に語りかけてくるのである。そして、それが今なお新鮮な感動をもたらすのは、クライバーがいかに卓越した才能をもった指揮者であったかを物語っている。
どうでしょう、CDのライナーノートに記されたこの一文を見ますと、
あたかもカルロス・クライバーのことを言っているのではなかろうかと思えてもしまうわけで。
もちろん演奏は早めのテンポで押しまくるだけではありませんで、
全体的な構成感あるバランスは長いこの曲を飽かせず聴きとおすことにつながっていますし、
何より英雄のカリカチュアライズを試みたような第4楽章(個人的見解です)で破綻と受け止められることが多い中、
この演奏は実に収まりよく最後まで行くのですよねえ。うむ(と、個人的に思う)。
とまあ、そんな感じで再び失われた演奏会代わりの再現イベントを自宅で試みたわけですが、
ちょっと思いつきましたのは、今回のプログラムがいずれも「第3番」であるということ。
1番目、2番目が練習というか、助走のようなもので、そこでのタメが効いて3番目に大きく飛躍する、
そんなようすはサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲やベートーヴェンの交響曲に限らず、
いろんな場面でありそうな気がしたものですから。
余談ですが、刑事ふたりが犯人の立てこもる家に突入する際に「いち、にのさん」と声を掛けるも、
どうにもタイミングが合わない。「さん!」の時に飛び込むのか、「さん」と来てGO!になるのか、
そんなことで喧嘩を始める場面があったのは「リーサル・ウェポン」でしたか。
まったくの余談でしかない話ですけれど、とにもかくに跳躍するには助走が必要だということで。
作品作りにも同じことが言えそうな気がした…とまあ、そんなお話でありました。