普段ならだいたい月に1回くらいはクラシック音楽の演奏会に出かけているところながら、この状況ですものね…。
3月の演奏会がキャンセルされた段階では「プロコフィエフほど遠くに行かなくても」と、
近所に目配りしてみればいろいろ発見がありそうで…てなことを言っていたわけですが、
4月下旬の演奏会もまた取りやめになったという郵便が、先ごろ読響から届けられたのでありました。
先月段階よりも明らかに事はよくない方向へ進んでおりますので、
ともすると近所をふらふら歩いてみるなんつうことも憚られるような状況ということになってまいりますが、
そういうことであるなれば、キャンセルされて失われた演奏会のプログラムを
家にいながら実現させてみるとするかという、個人的イベントでも開催してみようかと。
もちろん当初予定の演奏家を連れてくるわけにはいきませんから、
曲目のみ同じでレコード・コンサートをやってみようというわけなのでありますよ。
演奏される予定であったプログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、
そしてR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」という2曲。
レコード・コンサートと言ったからには、CDではなくあくまでLPレコードということでして、
まずベートーヴェンはこちらでございます。
ピアノ独奏はアルトゥール・ルービンシュタインとダニエル・バレンボイム指揮、ロンドン・フィルの共演で、1975年の録音。
日本での発売は1976年でしたかね。この年に、ルービンシュタインは御歳89歳で引退したのではなかったですかね。
それだけにテクニック的な衰えが…てな話がもれ伝わることもないではありませんが、
この誰が弾いても(?)スケールの大きな曲にあって、とりわけ緩やかな流れに聴く絶妙なテンポというか、間合いというか、
これはうっかりすると涙が出てしまうほどでもあろうかと。
と、ベートーヴェンが円熟の演奏であるとしますれば、シュトラウスの方は気鋭といいますか。
これまた70年代のレコードですが、こちらになります。
これはですね、はっきり言ってジャケ買いです(笑)。
装丁の凝りようは「英雄の生涯」という題字を岡本太郎に依頼したものであることからも伺えるところでして、
CBSソニー(当時)の「master sound76」というこだわった録音技術で音質も良しと、結構な話題盤だったような。
20代後半にはすでにベルリン・フィルとレコードを録音していた早熟なマゼールですので、
ここで今さら気鋭とは不似合いかもですが、それでもこの曲の録音時(1977年)は47歳ですから、
指揮者としては気鋭くらい言ってもいいかもしれません。
ともあれ、後にFM放送で聴いたバイエルン放送響とのライプでの「ティル」がいつまでも印象に残っておりまして、
あざとさのあるR.シュトラウスにはやはりあざとさのあるマゼールが似合うような気も。
ですが、ここでの「英雄の生涯」はまっこう正攻法な感じがします。
(近所に遠慮しながら)ややボリュームを上げてたっぷりとスピーカーを鳴らし、
音の世界に包み込まれるのが実に心地良いのでありますよ。
とまあ、そんなふうに2曲を並べて聴いたときに思うことは、「皇帝と英雄かあ…」ということでして。
ベートーヴェンは交響曲第3番の楽譜の表紙にナポレオンへの献辞を用意していたわけですが、
ナポレオンが皇帝位についたことを知るやこれを破り捨ててしまった…とは有名な話ですな。
一方で、後に「皇帝」とあだ名されることになるこのピアノ協奏曲は
そのナポレオン率いるフランス軍がウィーンに侵攻しつつある頃に作曲が進められて、
その曲が奇しくも「皇帝」と呼びならわされるようになるとはベートーヴェンも思ってもみなかったでしょうけれど、
スケール大きく風格たっぷりのこの曲、その雰囲気から「皇帝」と呼ばれるようになったとは言われるものの、
ベートーヴェンとしては「音楽こそが皇帝なのだよ」ということを、この曲で示してたかったのかも。
なにせ「皇帝」となれば諸国王の上に立って、諸民族を統べるといった意味でもありましょうから、
そうした存在はむしろ人ではなく、芸術であり、音楽であるくらいの思いがベートーヴェンにはあったでしょうから。
ところで「英雄」の方ですけれど、シュトラウス作品の英雄とは実はシュトラウス自身のこととされまして、
そりゃ、著名な音楽家ではありますけれど、改まって自分を英雄とはなんと尊大な、とも。
ですが、べートーヴェンの「エロイカ」を考えてみますと、第一楽章こそ勇壮な、いわゆる「英雄」的イメージでもありますが、
終楽章はバレエ音楽「プロメテウスの創造物」からの転用で、プロメテウスをこそ英雄としているのかとも思えたり。
さりながら、「プロメテウスの創造物」がすなわち「ヒト」であったと考えれば、
ヒトがそれぞれに英雄を気取ってふるまうときに、実は哀しいおかしみが生じてしまう。
もしかしてベートーヴェンも、ましてやR.シュトラウスはなおのこと、
そんなカリカチュアを描いて見せたのかもしれない…と、そんなことを考えた自宅イベントでなのでありました。