METライブin HDでサン=サーンスの「サムソンとデリラ」を見て来たのでありますよ。
ちなみにこのムビチケカードを見る限りでは、キャストとしてロベルト・アラーニャのサムソン、
エリーナ・ガランチャのデリラということは分かっても、ご存知のように旧約聖書の話を
このプロダクションでは現代劇のように演じられるのかとも思ってしまうところながら、
かつてのハリウッドの史劇大作のように(?)王道っぽい衣装、舞台装置で始まったのでありました。
ですが、メトロポリタン歌劇場の間口の広い舞台を半円形の開口部から見せるという設えは
(実際には切れている円の部分は半円よりもそっと少ないのですけれど)
教会で多く見かける半円アーチの上部に嵌め込まれた宗教画を見るかのよう。
幕が進むに連れて舞台装置は斬新になっていくものの
少なくとも第一幕に見る神殿のような場所に多くの人がいるようすは
(全く題材は異なりますが、例えばということで)ラファエロの「アテネの学堂」のようで
いいツカミだなあと思ったものでありますよ。
されど、サン=サーンスの音楽に当初はどうも入り込めずに、
元来管弦楽曲や室内楽曲にばかり馴染んでいたせいもあってか、
この作曲家は器楽音楽の人であるのかも知れんなどと先走って。
その時にはサン=サーンスの歌曲とはおよそ知られてないですし、
オペラにしてもこの「サムソンとデリラ」以外には上演されることもないようだからと
一人合点したものでありました。
さりながら一幕の途中から
「おお、いつの間にか歌と音楽が融合してきたな」と思い始め、
二幕に至ってさらに上り調子、アリア「あなたの声に心は開く」が聴こえてくると
聴いているほうも俄然盛り上がったりしてしまいましたですよ。
ファム・ファタルたるデリラの最大の見せどころ、聴かせどころですものねえ。
そして、最終幕の第三幕には管弦楽曲として演奏機会の多いバッカナールが流れる
見せ場が登場するのですが、サン=サーンスの曲に「おお!」と思った気持もいささか尻すぼみ。
話はスペクタキュラーな大団円を迎えて終わるわけですけれど、
第一幕、第二幕で見せたサムソンとデリラのやりとりはスペクタクルというよりも
男女の愛憎が絡む人間ドラマですので、特に二幕で二人のインティマシーの背後には
実はあれこれあるだろうと想像を掻き立てておきながら、なんとも大味な終わり方だなと。
デリラの裏切りによって敵であるペリシテ人に捕えられてしまうサムソンが神に祈り、
一時的にもせよ蘇った怪力で我が身もろともペリシテ人の神殿を打ち壊すという最後。
聖書をなぞったストーリーには違いないのでしょうけれど、構成としてはいささか残念な気も
してくるところでありました。
「英雄、色を好む」の通りにデリラに惑ったサムソンは結局痛い目に遭いますから、
実に分かりやすい教訓話とも言えるものの、考えてみれば神から怪力を授かったとして
サムソンにしてみれば「そんなことして、重荷を背負わせてくれなくてもいいのに」と思ったかも、
とまあ、凡人としては考えてしまうところですな。
また、デリラの方は完全にファム・ファタルと位置付けられましょうけれど、
サムソンへの復讐と愛とは簡単に割り切った話にはできないところであろうと思うわけで、
その両者の心情がアラーニャとガランチャによって歌いあげられれば歌いあげられるほど、
そっちの話(建物を打ち壊すようなスペクタクルでなく)の方がよほど気になるといいますか。
その点では絵画の方が局所的なドラマティックさを描出しやすいことになりますかね。
例えばフランクフルトのシュテーデル美術館
で見たレンブラント作品、
「ペリシテ人に目を潰されるサムソン」では、力の源である髪をデリラが切ってしまうと
たちどころに力を失ってペリシテ人たちに組み伏せられ目を潰されてしまうサムソンという
劇的な瞬間をギュッと詰めた表現ができるわけでして。
もちろんここで音楽と絵画の優劣をどうこうと言いたいのではありませで、
実際にサン=サーンスがアリアやバッカナールで聴き手に感じさせるものと
同じことをレンブラントにできるかと言えばできない。別物ですものね。
と、まとまりが無くなってきましたですが、
要するに最終幕になってデリラがすっかり蚊帳の外になったまま
仕掛けもののクライマックスで壮大な幕切れを迎えるのが大味に感じたわけでして、
サン=サーンスの素敵な音楽がたくさん詰まっているだけにもったいないなと。
あくまで個人的感想ですけれどね。