かなり長くなってしまいました造形美術館の探訪を落穂ひろいまで終えたところで、
ライプツィヒ街なかの落穂ひろいもやっておくことに。後は、空港へ向かって帰途に着くだけですので。
ライプツィヒは出版・印刷の町であったとは先にも触れたとおりでして、
中央駅からホテル方面へと続くリッター通り界隈にもこのような古書店がいくつかありましたですなあ。
このあたりのライプツィヒの歴史につきましては、こちらの本が興味深いかと。
『ライプツィヒ―あるドイツ市民都市の肖像』、もしもライプツィヒに行かれるようなら、予習用にぜひどうぞ。
著者は独文学研究者ですけれど、国立音楽大学に所属していたこともあることからか、
ライプツィヒが音楽の町であることにも当然のように触れておりますよ。
ゲヴァントハウスのホールやオペラハウスでの演奏会はもとより町にたくさんある教会でも音楽の競演が。
まあ、ヨーロッパのどこの町でもとは思うところながら、町のサイズの割りにはポスターがたくさんのようにも。
ところで、上で見たような古書店がありますと店内を物色したくもなるところですが、
こちらの模型店のショーウィンドウなども実にそそられますなあ。
精巧にできている分それなりのお値段になりますから、見るだけなのですけどね。
と、町のランドマークにも目をとめておくことにしますと、先に旧市庁舎の写真はお目にかけましたけれど、
こちらは新市庁舎です。「新」と言いながら、この造り。1905年竣工とのことですが、
塔やら飾りやらかして、お伽話の舞台のような気もしましたですよ。
そんな新市庁舎の南西角、交差点近くには何やら大きな記念碑が。
ただし、この記念碑は地下に潜りこむ形になってますので、目立たないことこの上ないのですなあ。
ここで顕彰されているのは1930年にライプツィヒ市長となったカール・ゲルデラーであると。
1933年に政権を握ったナチの政策にまっこう反対を表明し、破壊されたメンデルスゾーン記念碑の再建にも寄与したとか。
反ナチ運動に携わって、ヒトラー政権打倒の暁には首相にとも目された人だということです。
記念碑ということでは、このようなのもありましたですよ。
「LEPZIG-DRESDNER EISENBAHN」と書かれてある鉄道記念碑、中央駅に近い公園にあります。
ライプツィヒ~ドレスデン間に鉄道が開通したのは1839年。
開業当時は碑文に刻まれたとおりの名前による私鉄だったのですが、これがやがて国有化され…という流れは、
日本も同じですね。新橋~横浜間の開通は1872年ですので、30年くらいしか変わらない。
その30年が大変な激動の時代であったわけですが…。
さて、落穂のしめは食した料理と飲んだビールとをささっとフラッシュバックしておきますね。
一応、それなりにちゃんと食事はしていたという証しとして(笑)。
食事のことを思い出してみますと、一番上の料理を食したお店が美味しかったですなあ。
Wenzel Prager Bierstubenということからして、チェコ料理ということになりましょう。
チェコといえばピルスナーのふるさとですから、ビールももちろんうまかったですし。
ということで、長らく書き継いできました「ゲーテ街道紀行」は次回を最終回として
ライプツィヒ=ハレ空港からお届けを…と予告だけしておきますね。