ハレの町の景観の一部としてファイニンガーも描いていたマルクト教会。聖母教会ともいわれますな。
この教会内を覗いたあたりを記しておこうかと思うところですが、
外観としては先にマルクト広場側からはヘンデル像のところで見ていますので、
反対側から見てみますが、どうもその面持ちは全く違うのですなあ。
マルクト広場側にも二本の塔がありますけれど、
そちらは横浜三塔にたとえてみますとジャックの塔でもあるような(個人の意見です)。
ですが、反対側に回って別の面の二本の塔はかように鋭く天空を突き刺す尖塔なのでありました。
と、外観の話はそこまでにして中に入りまして大オルガンとは反対方向、
内陣を飾る祭壇画に目を向けますと「ああ、やっぱりなあ」と。
テューリンゲンからはザクセン・アンハルトのハレも近いですかならなあ。
何がやっぱり?といって、右端の女性像を見れば一目瞭然のクラーナハ。
もっともこれは1529年の工房作ということですけれど、
果たしてクラーナハ本人は工房作にどれほど関わっていたのですかねえ。
後のルーベンスほどに手広く商売してはいなかったであろうものの、
中部ドイツの教会関係からはひっぱりだこだったと思しきクラーナハ、これぞという仕事以外は
工房にお任せだったかも…。それでも細身の女性像はもはやブランドであったのかもです。
ところで、このクラーナハ工房作の祭壇画の上には、こちらにも小ぶりなオルガンが備えてあるのですなあ。
ゲオルク・ライヒェルというオルガン製作者が1664年に作ったことから、ライヒェル・オルガンと呼ばれていると。
1664年にできたということは、1685年生まれのヘンデルが生まれたときにはすでにあったわけで、
幼いときから楽才を示したヘンデルがここの教会オルガニストについてレッスンを受ける際の楽器が
このライヒェル・オルガンであったそうな。
やがてロンドンに出て大活躍するヘンデルには彼の地で書いたオルガン協奏曲がありますけれど、
その際に使った楽器はライヒェル・オルガンに似たものであったとかいう話もあるようです。
大オルガンに比べれば小ぶりも小ぶりですけれど、いい楽器なのでありましょう。
一方で大オルガンの方はといえば、今あるものは1984年に新しくされたものですが、
元来この大オルガンはワイマール宮廷時代のバッハに建造にあたってアドバイスが求められたとか。
バッハには、アドバイスついでに教会オルガニストのポストが空いていたことから就任要請があり、
内定はしたものの、結局はワイマールがバッハに引き留め工作を図ったようで。
そうしたことの30年あまりのちに、マルクト教会オルガニストにはバッハの長男、
ヴィルヘルム・フリーデマンが就任することになりますが、
このときに父バッハが口添えをしたという話は先にも触れましたですなあ。
てなことで、オルガンの話メインになってしまったものの、教会内にはちゃあんとこのような肖像も飾られている。
地域柄やっぱりルーテル派なのですよね。
おっと、そろそろヘンデルハウスを訪ねるとしますかね。




