とまあ、マルクト広場にかほど立派なヘンデル像のあるハレの町では
ヘンデルハウスを訪ねるのもお目当てのひとつなわけでありますけれど、
ホテルを早めに出たものですから未だ開館前という状況。
そこで、ホテルで見つけた観光マップを片手にハレの町をゆらりとめぐることにしたのですよ。
ところで、多様なジャンルの音楽を手掛けるミュージシャンに対して
「バッハからビートルズまで」といった言い方をしたりしますですな。
ハレの町巡りではまさにバッハからビートルズにまで出くわすといった具合。
まずはこんなふうに。
どうです、「Bach-Haus」と書いてありましょう?
ただ、先にバッハの肖像にもいろいろあることに触れはしたものの、それにしてもこの顔は…。
そうなのですよね、バッハはバッハでもかのヨハン・セバスティアンではない。
かといって、イエナでその名を見かけたヨハン・ニコラウス・バッハほどには大バッハとの縁が遠くはない。
しかしてその実体は?というわけですが、果たしてこの人はヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ、
大バッハの長男なのでありました。そういう関係であるといわれると、似ている部分があるような気も。
バッハの息子たちの中ではカール・フィリップ・エマヌエルとヨハン・クリスティアンが有名ですけれど、
長男のヴィルヘルム・フリーデマン、これが音楽の素質はなかなかに恵まれていたそうでありますよ。
ハレやドレスデンで活躍したことから、「ハレのバッハ」とか「ドレスデンのバッハ」と言われますが、
マルクト広場にある聖母教会のオルガニストに就任する際は、父バッハの御威光あってか、
なんと実技試験無しで採用されたとかいう話もあるようで。
まあ、こんな話が伝わるのもひとえに父バッハが最初の息子を猫可愛がりしたからでもあるようで。
音楽の才が感じられるだけに、かわいい息子と映ったのでありましょう。
ですが、そうした接し方があだとなったか長男はわがままに(その分、次男のカール・フィリップは実直に)
育ったのかもしれませんですね。
とまれ、そんなヴィルヘルム・フリーデマンの作品と生涯に触れられる施設…だったのですが、
あいにくと閉まっていたのでありますよ…。
ところで、ハレにはバッハとのかようなゆかりがあるという一方で、
(まったく別のエリアではありますが)こんな施設もあるのですよねえ。「ビートルズ・ミュージアム」です。
しかしまあ、ビートルズがビートルズとなる前、ドイツに出稼ぎに来ていたことは知られておりますけれど、
もっぱらそれはハンブルクであって、かつてハンブルクを訪ねたときにもビートルズが通ったレストランなどが
にぎわっていたのを見かけました。ですが、ハレになぜ?とは思うところです。
あれこれ検索した結果としては、ビートルズ大好きの個人が集めた膨大なコレクションが元であるとか。
1万数千点に及ぶコレクションの中から巡回展のような形で披露していたものをケルンに集めて博物館とし、
この博物館が1999年に閉鎖となると、場所をハレに移して今のビートルズ博物館が誕生したものであると。
ま、言ってみれば、他の都市に比べて観光要素が少ないようすのハレにとっては、
時代を経てなお全世界的な知名度を誇るビートルズの資料館なら勿怪の幸いということなのかもしれませんです。
と、ここまで来ておきながら実は中に入っていないので、内容のほどはわかりませんけれど、
コレクションの膨大さからしてどうやらかなりの充実度ではあるようす。
ちと惜しいことをしたかなと、後から思ったりするのではありました。