東京・小金井の江戸東京たてもの園 を訪ねて、

個人住宅の保存建物としてまず田園調布の家 を見たですが、

続いてはそのお隣にある前川國男邸でありますよ。


前川國男低@江戸東京たてもの園

先の田園調布の家には大川邸とあるも「はて、大川さん?」という具合に

要するに普通の人のお宅だったわけですが、こちらの前川國男とは言わずと知れた建築家、

その私邸だった建物が保存されているのですな、建築家・前川國男の作品として。


大きな作品としては神奈川県立音楽堂や上野の東京文化会館といったホール、

学習院大学 のいくつかの建物、そして公団阿佐ヶ谷住宅といった集合住宅まで、

実にさまざな建築物に足跡を残した建築家でありますけれど、とかく建築家にとりましては

自らの建築理論なりを誰にも文句を言われずに注ぎ込みやすいのが

自邸の建築ということになりましょうか。


南の庭側から見た前川國男邸

それでもこちらは、一見、山小屋ふうとでも言いますか、それほど風変りとも見えませんですが、

「吹抜けの居間(サロン)を中心に寝室・書斎を配したシンプルな間取り」こそが

こだわりの空間ということになりましょうかね。


前川國男邸間取り図

居間を中心にして周囲(この家では左右にですが)部屋を配置したところは

先に見た田園調布の家と同じと見えるわけですが、中央サロンは

三角屋根の真下の空間をフル活用していますので、

先の家に比べ圧倒的な明るさと開放感がありますなあ。


前川國男邸のサロン


写真では北面のロフトにあたる部分が暗く見えますけれど、

いちばん上の写真に見るように北側の玄関上にも大きな窓がありますから、

まるきり暗い空間ではないわけでして。


南面の柱は芯外し

…と、北面の明り取りと南面のこの柱の「芯外し」を見て思い出すのが、

高崎市美術館 に併設された「旧井上房一郎邸 」でありますねえ。

建物の外観ではなくして、木材利用とその部分部分と。


まあ、それもそのはず(と素人が言っていいのかですが)前川國男は

東京帝大建築科を卒業後、アントニン・レーモンド の事務所に入ったりしたわけでして、

旧井上房一郎邸はレーモンドの私邸を忠実に再現した住宅ということですから。


レーモンドが霊南坂の自邸を建てたのは1923年で前川國男邸の建設は1942年、

当時は太平洋戦争の関係でレーモンドはアメリカに渡って日本にはいませんでしたけれど、

再び日本に戻るかどうかも分からない師匠へのオマージュを忍ばせたのかもですね。


とかくル・コルビュジエとの関わりで語られる前川ですけれど、

モダンな中に和のエッセンスを取り入れるのはレーモンドゆずりでもあろうかと。

そんなことが窺い知れる前川國男邸なのでありました。