高崎市美術館で開催していた「描く!」マンガ展 に関しては
こう言っては何ですけれど、高崎に来たついでに寄った…的なものと言いましたですが、
高崎市美術館に立ち寄ったのは別にはっきりとした目的があったのでありまして。


高崎市美術館


開催中の展覧会を目的とせずに(別途のコレクション展があるでもなく)
美術館に目的ありとは摩訶不思議と思われるやも。


実は高崎市美術館(の中庭?)に併設されている

「旧井上房一郎邸」を見るというのがその目的ですが、
前後関係をたどると井上邸があったから美術館がここにあるというべきでありましょうか。


とまれ、ここで見られる「旧井上房一郎邸」というのが、
建築家アントニン・レーモンド(1888-1976)ゆかりの建物なのでありますよ。


旧井上房一郎邸


もしかすると「アントニン」という名前からドヴォルザーク を思い出す方もおいででしょう。
アントニン・レーモンドはチェコ人でして、一般にチェコ生まれでアメリカの建築家とされるものの、
88年の生涯のうち40年以上を日本で過ごし、数々の建築に携わった人であると。


あいにくと「旧井上房一郎邸」は直接にレーモンド作ではないものの、
ゆかりの建物といいましたのは、解説板にもこのようにあるからなのでして。

この建物は、井上房一郎が1952年、建築家アントニン・レーモンドの麻布笄町の自邸(建築事務所の事務所棟を除く)とほぼ同じものを、本人の同意を得て高崎の地に建てたものです。

レーモンドと知己であった井上房一郎が

単にレーモンド邸を気に入って真似た…という程度ではなくして、

自邸の図面をそのまま使わせて建てられているという点ではコピーとも言えようかと。

東京麻布のレーモンド邸が現存していないことからも、
旧井上邸がレーモンド建築の特徴を伝えるものとして価値あるものとされているのですね。


で、その特徴ですけれど、自分のような素人にも分かりやすい部分で言えば、
まずもって「芯外し(しんはずし)
」の手法でありましょうか。


今は明治村に移設されている帝国ホテルの建設するため、
アメリカからフランク・ロイド・ライトが招聘されましたけれど、
この1919年の来日時、ロイドの助手として同行してきたのがレーモンドでありました。


その後は独自路線をとりながらもロイドらしさが表れていたり、
またコルビュジエ 的なところがあったりしてモダニズム建築の推進者とも見られるレーモンドですが、
長らく日本に滞在し、多くの建築に携わる中では、日本の建築の独自性を認め、
日本の風土にも馴染む建築を考え続けていたところもあるわけですね。


そこで、南面に向けて開口部を大きく持つ邸宅建築として取り入れたのが
「芯外し」であったのでして、旧井上邸も例外ではないのでありますよ。


広い南面 芯外し


普通は窓二間分あるいは四間分に柱が立って窓枠にもなっているところが、
ここでは窓の部分と柱が分離しておりますね。これを「芯外し」というそうで。


これによって、窓は途中の柱に遮られることなく、
やろうと思えば全面を開け放してしまったりもできるのですなあ。
四季折々の庭園と一体化したようになるというわけです。


庭に面して


もひとつ、特徴的なのは(部屋の中央に暖炉が置かれるというものそうですが)
天井が無いということでありますね。


天井の無い空間


戦後の物不足ということもありましょうけれど、足場に組んで使っていた杉の丸太を使い、
柱と登り梁を二つに割った丸太で挟んで締め付ける形が採られています。
「鋏状トラス」というのだそうですよ。


鋏状トラスと明かり取り窓


天井が無いことでとても広々とした空間になり、

また北側高くに明かり取りの窓を切ることもできるのですなあ。


レーモンド邸との違いは和室を設けてあるところでしょうか。
レーモンドと一緒に仕事をしたこともあるイサム・ノグチのデザインした照明が天井から下がり、
これはこれでいい感じの和室になっているなと思ったものでありますよ。

イサム・ノグチの照明が下がる和室


とまあ、あちらこちらに「ふむふむ」と思いながら、見て廻った「旧井上房一郎邸」ですが、
続いてはこれまたアントニン・レーモンドと井上房一郎の二人が関わった、
もそっと大きな建物の話へと移って参ることにいたします。


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