高崎駅前には美術館が2つありまして、ひとつは東口の目の前にある高崎市タワー美術館、

もうひとつは西口からちょいと歩いたところの高崎市美術館。

今回はそのいずれにも立ち寄りました。


お目当てはタワー美術館の方だったですが、それは後ほど触れるといたしまして

ここでは「高崎に来たのだから、どうせなら覗いておこう」と立ち寄った高崎市美術館のお話を。

『描く!』マンガ展という展覧会が開催中でありました。


「描く!」マンガ展@高崎市美術館


最初のコーナーは、後に全盛を極める日本マンガの礎を築いた作家たちの紹介。

ざっくり言えば、手塚治虫をはじめとする「トキワ荘」に集った面々ということになりましょう。


ですがここでの展示を見ていて思いますのは、手塚治虫の影響力といいますか。
もちろんそれだけ手塚のパイオニアとして確立したのが大きなものだったのでしょうけれど。


1954年に手塚のアシスタントになった石森章太郎(後に石ノ森章太郎)は
手塚の「新宝島」に衝撃を受けたと言っていますし、
その石森のアシスタント等のためにトキワ荘に通ううちに住人になってしまった赤塚不二夫も
やはり手塚の「ロストワールド」に大きな刺激を受けたといいます。


展示された石森、赤塚、そして少女マンガの草分けである水野英子らの初期作を見れば、
登場人物の顔かたちからして手塚マンガを想起させるものだなと思えるほどでありますし。


ところで、手塚マンガには「スターシステム」という考え方があって、
「自らのキャラクターを、作品ごとに異なる役柄を演じる俳優」に見立てているそうな。
ヒゲオヤジやらアセチレン・ランプ氏やらがちょいちょい違う役回りで出てくるなとは
思ってましたですが、そういうことだったのですねえ。


さて、この展覧会タイトルに「描く!」とあるように、
マンガの作画に関する解説がなされているのが続いてのコーナーということに。


基本的にマンガは描線で表されていて、それこそいかにもマンガらしい気がするところかと。
均質な描線を「手塚タッチ」とも言うらしく、初期の描き手たちはこれを真似るところから
入っていったのでありましょう。


ですが、この「手塚タッチ」へのアンチテーゼとして登場するのが、
さいとうたかをを代表的な作者とする「劇画」であったそうな。


それまでの均質性とは打って変わって、輪郭線の使い分けをかなりはっきりさせている。
劇画に限らず(と言ってもさいとうの劇画遺伝子が入っている)川崎のぼる
の「巨人の星」などを見ても、線で見せるところが多いですね。


これはある意味、画期的な手法の確立でもあったのか、
1960年代後半には手塚自身もこれを使い始めたのだそうでありますよ。
今にして思えば、もはや均質な描線となるといささかプリミティブな印象に思えるかもです。


で、「劇画」の影響とは描線の点だけでなしに、画面構成やコマ割り、描写の視点など
映画的な手法というべきものが入ってきたことも大きな点のようで。
こんなコマの展開はいかにも映画っぽいではありませんか。


さいとうたかを「無用ノ介」より


これまたところで…ですが、さいとうたかをの代表作といえば「ゴルゴ13」。
このタイトルの意味など改めて考えみることもなかったですが、
「ゴルゴタの丘で主イエスにいばらの冠をかぶせ、十字架にかけた13番目の男」
という意を呈した主人公であるそうな。


散髪のときにぱらぱら眺めるくらいしか手にする機会のなかった「ゴルゴ13」なので、
主人公デューク東郷がどれほどに「ユダ 」然としているのかは分かりませんけれど…。


と、劇画の話ばかりできているのは、実は劇画好きということはまるでなく、
表現の参考として展示されるのがどんどん新しい作家(つまりは作品も作家名も知らない…)に
なっていったからでして、中にはどうも絵柄に忌避感を抱くようなものもあったものですから。


こうした展示解説を見るにつけ、
マンガは必ずしも子供のものではないと(今さらながらに)思うところですけれど、
最近のものはどうにも手が出ないですなあ…と、ここでふいの思いつき。


美術でも音楽でも「現代」がつく新しいもの、ましてやリアルタイム現代となると
なかなかに受け容れやすくなさが勝ってきたりもするのと、マンガもまた同じと考えたらよいのかも。
「たかがマンガ、されどマンガ」でありましょうかね…。


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