先に見たアントニン・レーモンドゆかりの個人住宅の持ち主であった井上房一郎
高崎にあった建設会社・井上工業の社長でありましたが、
若い頃には「芸術文化を学ぶためにパリへ留学」したという芸術通、文化人であったそうな。


戦後早々の1945年、荒廃した人心に潤いをもたらすには音楽が必要と

オーケストラの創設に尽力し、翌々年、当時地方都市には稀なプロとなったオーケストラが

現在の群馬交響楽団であるという。


プロ・オケにはプロ・オケらしい本拠地をということでコンサートホールを設けることになり、
井上が依頼をしたのは他の誰でもないアントニン・レーモンドであったわけです。


しかしまあ、地方都市とあってはそれほどあれこれの箱物を建てるわけにはいきませんし、
オーケストラの演奏会も年中やっているわけでもなく、また市民の好みはオケばかりでもない。
ということで、井上がリクエストしたのはプロ・オケに適う音響である共に、
歌舞伎公演もできること…だったとか。


そこで、最初のプランは多目的性を意識したのか、
真円形の建物で内部の中央にステージがあり、周囲をぐるり客席が取り囲む設計案が
レーモンド事務所で作られますが、レーモンドが納得しない。


そのうちに、建築雑誌である建物の平面図を見かけたレーモンドがあるデザインを思いつく。
それを元に検討し、検討し、造りあげていったのが現在の「群馬音楽センター」であるそうな。


群馬音楽センター


発想のもとになった平面図はそも何の建物であったかといいますと、

何と歌舞伎座だというのですね。
外観では測り知れないものではありますけれど、

いったいどこをどうして歌舞伎座と結びつくものか…。

(歌舞伎座にも入ったことはありませんが)


あいにくと出向いた当日はイベント開催中で出入りが制限されていたのか、
「ロビーくらいまでは大丈夫かな」と入り込んだものの、
周囲から投げかけられる視線は大きな戸惑い含みとあって、そそくさと退散。


ですので、もっぱら外観だけの話になってしまいますが、

それが何ともユニークな形状なのですね。
先に上った高崎市役所展望ロビー から見下ろしたところは、こんなふうでありまして。


群馬音楽センターを見下ろす


上側が先ほどの写真の正面玄関側ということになりますが、
爬虫類…否、甲殻類を思わすフォルムの斬新さは、

1961年の竣工時にはさぞや驚かれたのではなかろうかと。


折版構造そのままの外壁


屋根部分もギザギザなら側面もまた大層なギザギザ状で「折版構造」というのだそうですけれど、
コストを抑えることと頑丈さを確保することを同時に達成しようとした結果ということなのですよ。


「群馬音楽センター」の建設には多くの市民が募金に協力し、

レーモンドとしても一切の無駄を省くことを念頭に置いていたのだそうでありますよ。

(結果、技術的な難しさを設計施工に求めることになるわけですが…)


また、高崎城址 という立地による周囲の環境をも考慮して、

石垣や松の木との調和が損うことのないよう、建物の高さにも制限を課したとなれば、

今の高崎市役所のような抜きん出た高さをレーモンドが見るとどう思いますでしょうかね…。


そんな意気込みでレーモンドが造り上げた「群馬音楽センター」は
完成後30年が過ぎたところで大改修され、50年以上経過した今も現役で使われていますが、
さすがに設備の面などでも時流には対応できないようになっているところもあるらしい。


実際に「群馬音楽センター」では公演が不可能と、
公演自体が前橋に流れてしまったりするケースもあるとなれば、
文化都市高崎としては負けておれない(ましてや前橋には?)となることは必定。


そこで「高崎文化芸術センター」なる新施設を2018年に完成させる予定であるそうな。

その後に「群馬音楽センター」がどうなってしまうかまでは寡聞にして知らないものの、
群響のホームグラウンドが新施設に移ることは間違いないようす。


今回は中を見ることのできなかった「群馬音楽センター」で群響の演奏会があるうちに、
ぜひともホール内をつぶさに見ておく機会を別途設けたいと思うのでありました。


そうそう、ちなみに参考として「アントニン・レーモンドの建築」なる一冊を詠みましたですが、
建築関係の素人であっても建築に関心があれば十分に興味深いものであると思います。


アントニン・レーモンドの建築 (SD選書)/鹿島出版会


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