Eテレ「クラシック音楽館」で放送された「NHKバレエの饗宴2018」を見ておりましたですが、
丁度昨年の今頃も「バレエの饗宴2017」 を見て、バレエ素人ながら「ほうほう」と
思ったりしていたのでしたっけ。
歌舞伎の舞踊 などもそうですけれど、ちいとも接したことがなくさっぱり…?てなものも
見てみればそのうちに気付きがあるということでしょうかね。
ところで、先に横浜市開港記念会館で聴いたラモーのオペラ=バレエ では歌唱と器楽のみで
バレエという踊りの表現要素は含まれていなかったわけですが、そこには歌と交互に
メヌエットやらガヴォットやらという数々の舞曲が演奏されることでバレエを偲ぶと言いますか。
ただこのときに考えたことには、オペラのアリアが感情の高ぶり表現の発露としてあるように
踊りというのも、ある種おちつきなく(?)体が動いてしまう状況という感情の高ぶりを
やっぱり表しているのではなかろうかと思ったりしたわけです。
ラモーの段階ではまだまだ楽しい気分を楽しい曲に乗せて…というところでもありましょうけれど、
これがやがては踊りがその人の感情、単に表面的なものだけでなく、内に秘めた思いなども
観客に伝えられるようなテクニックが編み出されていったものと思います。
だからこそ、以前Eテレ「らららクラシック」で
プロコフィエフ のバレエ「ロメオとジュリエット」が取り上げられた際に
「それまでのバレエで使われてきた音楽の多くは、主役の「踊り」を引き立てるための
いわゆる「伴奏」のようなもの」とあくまでバレエは踊りということになってもいったのでしょう。
ある意味「バレエは踊りが主役」で間違いないわけですが、
プロコフィエフはもそっと突っ込んで音楽に存在感を持たせたというのが番組でのポイントでした。
が、とそれはともかく踊りが感情表現の延長として
物語を伝えるツールともなっていったバレエでありますけれど、
ともすると説明の要素を持たせるために踊りの形を制限することになったりしたかも。
そこで物語を伴わない、まさに踊りを見るためのバレエ作品なども出てきたことでしょう。
具体的な物語が予め用意されていないとなりますと、自ずと音楽も雄弁になるものと思いますし。
そんな過程を考えますと、バレエの超有名曲であるチャイコフスキー の3作が
「白鳥の湖」に始まり、「眠れる森の美女」で形が大成された後、
「くるみ割り人形」という踊りのバラエティーを見せるような作品が書かれたという順番にも
窺える気がしてくるところです。
と、「バレエの饗宴2018」の放送では最初に新国立劇場バレエ団によって
その「くるみ割り人形」の第2幕が披露されましたけれど、
かつては物語をよりどころにしないとバレエを見てもぼんやりしてしまったところながら
ここでの踊りの数々は結構楽しめましたですな。
取り分け群舞の演出は、あたかも花火ショーを見ているように賑やかで華やか。
バレエをシンプルに踊りとして楽しむということもできるものなのだなと
改めて思ったのでありますよ。
バレエの実演はずいぶんと昔に松山バレエ団の「白鳥の湖」全幕を見たことがあるだけとは
何度か触れていることではありますけれど、こりゃまたそのうちにバレエ公演も
見に行ってみたいものだと思った次第でございます。