我ながらいともあっさり予告編に釣られてしまうものだと思うところながら、
「月イチ歌舞伎」(6月から来年3月まで月1回一週間程度ずつ上映される歌舞伎公演の映画版)の
9月上映分を見てきたのでありました。
「METライブ・アンコール」で「メリーウィドウ
」や「セビリアの理髪師
」を見た際に
今回の「蜘蛛の拍子舞」&「身替座禅」の予告編上映があり、その中で
尾上松緑がいかにも歌舞伎なひっくり返った音声で「妖しのかぁげぇ~」と言うの聴き、
「おお、歌舞伎
じゃ」と思ったものですから、ついつい出向いてしまったと。
ですから、筋も何も知らずに行ってしまったですが、基本的には舞踊で見せるものだったのですなあ。
「蜘蛛の拍子舞」はそのタイトルからも当然ですけれど、「身替座禅」もまた。
「身替座禅」は狂言 起源ということで、元来コメディー(という言葉が馴染むものかどうか)。
山陰右京(中村勘三郎)がその奥・玉の井(坂東三津五郎)や太郎冠者(市川染五郎)との掛け合い、
右京自身の表情や身振りで大いに場内を沸かすわけではありますが、
本来の狂言のように能舞台という限定的な空間で見せるのとは大きく異なる歌舞伎座の広い舞台で
どう見せるのかと思ったところが、その見せ所のひとつは舞踊であったか…とも。
日本の古典芸能を少しずつ少しずつかじり出してはいるものの、
なかなかに舞踊は入りにくいところでもあり、見に行ってしまってから
「どうしたものか…」と思ったりしたですが、今回ばかりは杞憂であったといいますか。
とにもかくにも「蜘蛛の拍子舞」に見る白拍子妻菊(実は女郎蜘蛛の精で演ずるは坂東玉三郎)の
踊りの優美さたるや驚くべし。それこそあやかしの化身なのではと思うところでありますよ。
例え方がいかにも素人的なのはご容赦願うとして、
ともすれば盆踊り?とも見えてしまうような動きでありながら、
指先に至るまで流れるような線を描いて全く崩れがない。
コマ撮りしたとすれば瞬間瞬間ぴたりぴたりと決まる形が常にあって、
それを連続再生しているようなものと言いますか。
こうなってくると、舞踊がとっつきにくいとかそういうこととは関わりない名人芸の世界、
人間国宝とはかようなものかと感心しきりでありましたですよ。
もっとも玉三郎の威力(?)のほどは、
しばらく前にTV「古典芸能への招待」で見た「伽蘿先代萩
」で気付かされ、
また先月のシネマ歌舞伎「牡丹燈籠
」で芸域の幅広さにも感じ入っていたわけですが、
今回もまた「ほお~!」てなことになりますと、年明け公開の「阿古屋」という一作、
見といた方がいいかも…という気がしてきておる次第です。
ところでもうひとつの方の「身替座禅」、先にもキャストに少々触れたですが、
何故だか訃報が続いた歌舞伎界を偲ばせるように勘三郎と三津五郎の一騎打ち?。
座禅をするから邪魔するなと山の神(奥方ですな)に言い含め、
一方で代わりに太郎冠者に座禅をさせておいて、自らは浮気に勤しんだ山陰右京。
まんまとうまくいった自慢話を太郎冠者に聞かせているつもりが、
聞いていたのは山の神であった…という実に他愛のない話にこういうキャストとは
贅沢なのではありませんかね。
それだけに他愛のないストーリーをぼんやり追って
笑っているだけではすまない要素があるはずで、そのひとつが舞踊でしょうけれど、
こちらの方は「蜘蛛の拍子舞」で「おお」と思ったようにはいかず。
まあ、見ているこちら側の修行が足らんということもでありましょうか。
ということで、舞踊だからと臆することもないと少しばかり思いつつある今日この頃、
さらに背中を押すことになった「月イチ歌舞伎」なのでありました。