毎度TVで見た話となりますといささか時期遅れの話題となりますが、ご容赦を。
本当の放送は今月初めでしたか、Eテレ「にっぽんの芸能」で歌舞伎 「碁盤太平記」を見たですが、
元は近松門左衛門の浄瑠璃であって、それを歌舞伎に仕立てたものとのことでありました。


そう聞きますと、元々素浄瑠璃で語られることを前提としていたのかとも思うものの、
芝居の部分が無いとなると、碁盤を使った演出が活かせないことになりますから、
やはり人形浄瑠璃で…ということであったのでしょうか。


言わでもがなのことながら人形に台詞を語らせることはできないために、
物語の情景描写やら進行上の説明、そして登場人物の台詞は

一手に大夫が語るところとなりますけれど、歌舞伎となれば役者は自分で語れるわけで、

その台詞部分を大夫から役者へと置き換えることに。


そうすると、役者が語った後を大夫が「…と内蔵助がどうした、こうした」と
追いかけて語るようになってくるのですなあ。
このあたり、いかにも元からの歌舞伎ではないのだと思うところでありますよ。


また、大夫から役者の台詞に置き換えられますと、
どうも浄瑠璃独特の特異な節回しよりも抑揚やらが控えめになるのか、
見る側にはより分かりやすくなってもいたような。
先に見てきた人形浄瑠璃、文楽公演 では

どうしても字幕に頼らないと厳しい面がありましたですが。


と、ここで改めて思うことですけれど、浄瑠璃の文章は同じ日本語でも古いものですので、
現代人にはなかなかに着いていきにくいところがあるものの、
果たして江戸期の人びとにはあの浄瑠璃の語りというのは

すっと理解されるものだったのですかね…。


歌舞伎は今でこそ(その観劇料のこともあり)いささかお高いところにあるやに思いますが、
かつては能よりちと格下の芸能でもあったろうかと。
となれば、見に来る人たちもそれなりの階層で、

その人たちに理解されなければ当たるはずがない。


歌舞伎が人気であった証拠としては、
今でも郷土芸能として素人歌舞伎が残る地域があちこちにあることからも推測できるところながら、
もしかして郷土芸能的な歌舞伎公演では地域独自に台本が語り伝えられるうちに、
どんな人にもより理解しやすいような台本の改変が行われたりしていないでしょうか。

全くの推測ですので、実際には各地の郷土芸能に当たらねばなりませんなあ。


近いところでは埼玉県秩父市に、

秩父夜祭で引かれる屋台の上で演じられるものがあるようですが、
Wikipediaの記載から想像するにこれはあくまで秩父夜祭の一部分としてあるもので、
笠鉾、屋台が引かれるようになって300年と言われるのと同じ伝統が

屋台歌舞伎にあるのかどうか、そこまでは分かりませんですけれど。


とまあ、またまた話の展開がこじつけめいておりますが、実は秩父に出かけることになりまして。
屋台歌舞伎の実状を探りに行くわけでもなんでもありませんで、
先月に富士五湖 を巡ったのと同じ面々となりますと、目的のほども想像されようかと。
つうことで、明日はお休みいたします。


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