METライブ・アンコール でロッシーニ の「セビリアの理髪師」を見て来たのですね。
少々入れ込んでいるメゾ・ソプラノのジョイス・ディドナート が出演しているいささか昔のプロダクション、
見ていなかったものですから。
ですが本来の公開は2006-07シーズンであって、
「Metropolitan Opera Live in HD」の配信が始まった最初とあって、
仕立ての雰囲気が何とも古いというか、幕間のインタビューにしても
その後にだんだんと慣れと工夫が重ねられて今に至っているということですかね。
もっともオペラのプロダクション自体が古いというわけではありませんけれど。
ところで、ロッシーニの「セビリアの理髪師」といえばオペラの中でも超有名作なわけですが、
全曲を見聞するのは初めてではなかろうかと。
これまではかなり前に職場の同僚からもらったカセットテープにダビングされた抜粋版、
もっぱらこれで「セビリアの理髪師」に馴染んでいたのでありました。
奇しくもこの録音というのが、今でも(おそらく)名盤に挙がるのではないかと思われる、
1971年のアバド指揮ロンドン響による演奏でありまして、
それが「これこそ!」的に自分の中では「セビリアの理髪師」として刷り込まれている感がある。
ヘルマン・プライのフィガロによる「私は町の何でも屋」ですとか、
伯爵が音楽教師に変装して登場するときの「あなたに平安と喜びがありますように」ですとか、
どうしても最初に聴いた音を今回のMETライブと比べてしまって、「ちと違う…」と思ったり。
もっともこの辺り、過去をついつい美化しがちな記憶のオブラートに包まれてしまっても
いるのだと思いますですが。
と、伯爵が音楽教師に…というところで思い出しましたけれど、
原作者のボーマルシェはシェイクスピア に影響されてるんでない?てなことがふつふつと。
恋人の屋敷に音楽教師に化けて入り込むというのは「じゃじゃ馬ならし 」にありますし、
ドン・バジリオが「陰口はそよ風のごとく」と中傷の毒を歌うあたりは「オセロ」が浮かんできますし。
もしかしておんなじような印象を持った方がおいでかもとネット検索したところ、
ピンポイントでヒットはしませんでしたけれど、「夏の夜の夢」と「フィガロの結婚」を並べて
シェイクスピアのボーマルシェへの影響ありやなしや?と問いかけているのが
Yahoo知恵袋にありましたですね。
曰く、どちらの話も結婚を控えた人たちを取り巻いて、
ひとつの空間の中で展開される一夜の物語という外枠に着目したとのことですが、
ボーマルシェはシェイクスピアから200年程度後の人であるだけに
シェイクスピアの話を知っていても不思議はないてなことくらいしか分からないようす。
ま、今回気付いたところも断片といえば断片ですから、思い付きの域を出ませんけれど。
とまれ、初めて全曲を聴くに至った「セビリアの理髪師」。
ロジーナ(ジョイス・ディドナート)の歌いっぷりは相変わらず見事なものでしたし、
元来コメディーであることからすればバルトロ(ジョン・デル・カルロ)と召使が
大いに場内を沸かせてくれていた点も楽しい舞台でありました。
が、なまじ従前は抜粋版のいいとこ取りで聴いてきていただけに、
第一幕の最後や第二幕の幕切れ近く、ちと冗長に思えるところなきしにもあらず。
もっとも、いずれも歌唱としては聴かせどころにもなるようですから、
この点をとってもいわゆるオペラ通とは違う立ち位置であるなあと思いましたですよ。
今さらながら、我ながら。