さて、この南西ドイツ紀行
は滞在最終日のお話となってまいりました。
この日の目玉は美術館。Kunsthalle Karlsruhe(クンストハレ・カールスルーエ)を
訪ねたのでありますよ。
日本語意訳でより分かりやすく表記するならば、
バーデン・ヴュルテンベルク州立美術館@カールスルーエとなるわけですが、
ここにもまた、ついつい目をとめる作品がたあんとありましたですよ。
映画「ミケランジェロ・プロジェクト」
を見ておりますときに、
どうもおまけ的にモニュメンツ・メンのひとりとなった若い兵士が美術品の話になったときに
「レンブラントの自画像をカールスルーエで見たことがある」てなことを言ってましたなあ。
とまれ、館内に入っていくことにいたします。
まず何より先に(単に年代順にというだけでなく)ピックアップしてみましたのは、
コルマール
のウンターリンデン美術館
で「「イーゼンハイム祭壇画」
を見てきたばかりの
マティアス・グリューネヴァルト。1525年頃に描いた十字架上のイエスの図像であります。
「イーゼンハイム祭壇画」の激烈な印象よりは穏やかに思えるものの、
体を傷だらけにされて苦痛に俯く姿は十字架上のイエスを描いて、
グリューネヴァルトを超えて痛々しい場面が描かれているところはそうないのでは…と、
この作品でも思うところでありますよ。
お次は何とも素敵な三連の宗教画。
作者未詳でメスキルヒ(コンスタンツに程近い南ドイツの町)のマイスターによる
1538年頃の作品だそうです。
「素敵な」と言いましたのはちと不謹慎かもですが、
後にアルフォンス・ミュシャが描くポスター
のようなデザイン性は
同時代の宗教画ではおよそ感じられないところのような気がしたものです。
と、昨今流行りでしたので、絵の雰囲気で作者が想像されようと思うところながら、
この極端に細いなで肩の線はルーカス・クラナッハ、ただし息子(1515-1586)の方でありますよ。
ヴェーヌスを描いて父親よりは普通の人に近い表情はなんだかホッとするところです(笑)。
お次は大御所ルーベンス (1577-1640)描くところの
ヴェロニカ・スピノラ・ドリア侯爵夫人の像(1607)。
ルーベンスというと、工房で手掛けた壁いっぱいの大作ばかりを思い浮かべるところながら、
本人が描いた(たぶん)ほどほどの大きさの作品は本当に巧いですよね。
さて、アブラハム・ブルーマールト(1566-1651)の描いたところはぶどうを持つ女羊飼いで、
牧歌的な主題ではありますけれど胸をはだけているのは
オランダの風俗画らしい教訓的な意味合いがあるのですかね…。
ここでは1枚に代表させてしまいましたが、オランダ絵画 もたくさんありましたですよ。
と、こういう弔詞で次々挙げていきますと切りが無いことになってきそうな。
何しろたくさんの作品が展示されておりましたものですから。
ですので、1628年のブルーマールト作品からいきなり時代が飛ぶことにはなりますが、
とりあえずご容赦を願って、少々19世紀絵画の世界に触れておくことに。
これも一目瞭然かと思われるカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ (1774-1840)「作品。
荒涼たる自然を描いて、そこに物語を思わせるフリードリヒの絵は好物なのですよね。
ですので、どこで見かけてつい取り上げてしまいますなあ。
ドこちらもフリードリヒですけれど、単に教会の門を描かれているだけながら、
物語を思い浮かべる想像力を刺激する点では上の絵にも優るような気もしないではない。
ところで「ほうほう!」と思うのがお次の一枚でありました。
ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)が1829年に描いたマダム・フランソワ・シモンの肖像。
劇的なタッチの印象が強いと思っていたドラクロワ作品も肖像画となると、かくもそそと。
ですが、後に描いたショパン の肖像になるとドラクロワ節丸出しに思えますから、
だんだんと劇的な方向への磨きがかかっていったのでもありましょう。
こちらはエドゥアール・ヴュイヤール(1868-1940)の一枚。
ナビ派 の意味深なところもまた好物でして。
そして、意味深という点では「これは!」という作品に遭遇したですが、
地味に?カールスルーエと関わりのある、いわばご当地作家コーナー的なところに
まとめられていた中の一枚なのでありました。
一見したところ、「ベックリン?」と思ったですが、フェルディナント・ケラー(1842-1922)の作。
さりながら、タイトルが「ベックリンの墓」であるとは。
いかにもベックリン的な世界を描いて、それを「ベックリンの墓」と称するあたり、
意味深の極みでもあろうかと思うところでありますよ。
いやあ、見て回る楽しみざくざくの美術館なのでありました。