以前、呼吸の方法についてこれはいいのではないかということでご案内しました。

 

その後、さまざまな呼吸法がありながら、この呼吸法の意義というものを現時点での見解を述べたいと思います。

 

あくまで個人的な見解であることは前もって言っておきます。

 

胸式呼吸はメディテーションにおいて多くの場合否定的な意見が多いと思います。

気持ちが上半身からさらに頭と上に上がり勝ち。

 

それはそれで、良いかもしれませんが、瞑想していても、様々な想念が渦巻いてしまう段階では、好ましくないかもしれません。そちらに持っていかれ、さらに迷走してしまう可能性があると思います。

 

正当なヨガの瞑想でも、最初は下から登ります。

伝統的な東洋の瞑想では、臍下丹田にまずは意識をもってそこから、そこに氣を練り、小周天を目指します。

 

私自身も感覚的には下から登るのが良い氣がします。

頭に血が上る、意識が上がっているときに冷静な判断は出来にくいように思います。

 

ある程度、下半身、もしくは臍下丹田、ムーラーダーラ、スワーディシュターナに意識がはっきり抑えられてから、上のチャクラなり、小周天を意識するのが安全に瞑想のレベルを上げられる気がします。

 

で、呼吸法。。

 

という見解のもと、腹式呼吸か、前回ご案内した蜜息がまず初期段階でも瞑想にはよいかと思っています。

 

腹式呼吸の場合、背骨から肺は固定するような感じで、お腹を前後に移動させて呼吸することになります。この場合、吸気の時、腹圧がかかり、臍下丹田、スワーディシュターナに意識は持っていきやすいですが、排気の時、気持ちが上に上がりやすい。

ある程度、体幹が強化されていれば良いですが、まだ弱い段階だと、気持ちが上がりやすい状態のままとなります。

 

片や蜜息の場合は、常に腹圧がかかる形となります。

となると、自然に臍下丹田、ムーラーダーラ、スワーディシュターナに意識を持ってきやすくなります。

その意味では、かなり下半身に意識が充実している感じとなり、上半身や頭には力が入りにくいことになります。(=冷静な状態といえます)

 

しかしながら、この呼吸で問題なのは、呼吸をどこでするのか?ということになります。本でも述べていますが、肝は横隔膜。

 

横隔膜が上下に動くことができることが、ゆっくり、大きく呼吸ができることにつながります。

 

要は

 

横隔膜が柔軟であること

 

です。

 

水泳選手を代表してアスリートの方なら横隔膜を意識すること、もしくは自然に大きく動かすことはしていると思いまが、

これが、また、普通の人は、普段の呼吸で横隔膜意識することがないので、固いまま、もしくは大きく動かすことは難しいです。

 

しかし、ヨガでストレッチするようにしていくと柔軟性は必ず上がっていきます。

 

 

 

横隔膜も同じです。

意識して柔軟性を高めようと思えば、柔らかくなってきます。

横隔膜自体の存在や、いまどこにある、どこまで湾曲しているか、とわかってきます。

そうすると、柔軟になってきます。

 

柔軟になると、、蜜息であろうと、呼吸が自然と楽になり、また、呼吸が深くなります。

また、臍下丹田、ムーラーダーラ、スワーディシュターナへの意識を継続できますので、瞑想の深さが増してきます。

(生活上、いろいろな想念が出てきますが、出ににくなるし、チャクラの部位に集中しやすいかと思います)

 

 

さて、横隔膜の柔軟性を意識的に高めたいときには、

 

ウディヤナバンダ

 

がおすすめですね。

かなり横隔膜の上下を意識させます。

 

(前回の焼き直し的なブログとなってしまいましたが、横隔膜って重要かと最近思っています。)

 

 

余談:

日々の生活のなかでの変化ですが、、

最近、眼にする物の輪郭が微妙に振動している気がしています。

(いいのかわるいのかよくわかりませんが、、)

 

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

この本も読みごたえあります。

 

AIを引き合いに出していますが、、それよりも現在の資本主義社会の問題をあぶりだしている感じがあります。著者としては社会主義的な社会もそれなりに評価していますが、それには違和感を感じるところもありますね。

 

 

 

インターネットやChatGTPのような人間の作業を補完するAIが社会の在り方を大きくかえるパラダイムになると確信しており、支援ツールの筈のAIやインターネット上の情報ベースが逆に個人の心証、価値観、思想に影響していくだろうという。

その点は、合意できるものかと思います。

 

表現としては、西洋的思想をベースに現在の状況を鑑み、それを人間が相克していくにはどうしたらよいかをものすごく考えられています。

ちょっとだけ東洋的思想についてもコメントいれていますが、それは理解できないようです。

 

自己啓発にもAIが利用され始めています。アプリありますよね。

個人のデータを収集することで、さまざまなパターンの状況を把握し、より個人にあう適切なアドバイスや、トレーニング方法を示唆してくれます。下手なトレーナー・コーチのアドバイスより的確かもしれません。

しかしAIは以前にも話しましたようにかならずバイアスがかかるもの。それについて筆者も危険性を指摘しています。

また、個人の内面の問題をネットにさらけ出し、自分がこれだけインプルーブしたことを公表する。

(昔であれば、教会に行って懺悔するところw そして教会が情報を握ることで教団が強化されるw)

そして、公表することでマネタイズする。。

結局、内面の問題も、資本主義に取り込まれていく。

それが、現在のテクノロジーでより簡易にできるようになっている。

 

前半で、問題点をあぶり出し、

後半、その危険性にとりまれないために解決策を提案しています。

解決策については、、皆様お読みになってください。

私が所感を述べるとそれだけでバイアスがかかります。

 

 

(個人的観想)

自己啓発はコロナ禍がもたらした世界にひろがるブームの一つでしょう。

マインドフルネスとか、ヨガを部分的取り入れて、心の安定を図る。

結局、仕事に振り回され、精神的に疲弊するのを、ごまかすカンフル剤的なものになっております。

というか、自己啓発系の情報って、そのようなものが多い状況ではないでしょうか?

 

私自身、こうやってブログにアップしていること自体も、システムに取り込まれているのでしょうw

 

ただ、著者も危険性だけでなく、社会システムを変換させるツールとしてAIや自己啓発ブームを使うことはできるのではないかと期待しています。

 

私は、東洋的思想のもと、現在の社会システムの打開を目指したいです。あくまでネットやAIはツールにしましょ。

 

 

 

 

 

 

天気も良いので、、洗車。

 

ゴールデンウイーク後、洗っていなかったんで、ボディーがくすんで、、鳥の糞はつけられているし、、(屋外なもんで。。)

 

洗車にはケルヒャー(高圧洗浄機)を使ってがっつり!

 

ケルヒャー使い始めると、止められませんねー。

 

全然違います。洗浄能力が、、

 

 

まぁ、それは置いておいて、まず私は、、足元から、、

 

タイヤのホイールから洗います。

 

ここが一番手間がかかるんですよね。

 

服装もそうですけど、

やっぱり、足元見られるんで、靴も自分で磨きます。

 

車ですと、タイヤ回り。

 

ホイールが綺麗だと、車も全体的にきれいに見えます。

 

自分がホイールをこだわるからでしょうか?ほかの車をみるときホイールみてしまうんですよね。

 

ホイールって、やっぱり地面に近いし、砂埃を浴びるし、ディスクブレーキの鉄粉にもまみれて、相当汚れます。

 

動いていると、人間も疲れや拘りが出てきますけど、車も同じように、、いろいろ汚れが。。特に使っているところにガタきますねーw

 

放っておいても、まぁ、花粉やら黄砂やら埃やらでいつのまにか白っぽい感じになります。

 

そうですね。人間もボーっと過ごしても、、何やら身体や心に沈殿するものがありますねww 

 

同じかもしれません。

 

特に汚れてしまうホイールを綺麗に、ピッカピカにして!

(それだけに洗車の時間の半分以上つかうでしょう)

 

そして、ボディー、、、

 

ケルヒャーいいです。

 

 

 

 

 

洗剤も噴出してくれ車全体が泡まみれにできます。。

そして、専用ブラシで洗って、、

一通り洗ったら、

ケルヒャーじゃなく、普通のシャワーヘッドで洗って、、

布ぶきして、、水滴とれると、、もう、

 

ドンッピッカピカドンッ

 

心なしか、車も喜んでいるような気がします。
 

Ben KerckxによるPixabayからの画像

そして、自分自身もなにかしらスッキリするものもあり、洗車も心の健康にいいんでしょうね。
 
今日は、ついでにトイレも掃除!
 
天気も良かったし、、
 
なにかしらスッキリ度合が増したかな?w
 
メディテーションもよいのですが、
このように身の回りも綺麗にすることは、フラクタルな現実世界では効果的な方法のような気がします。
 

神社も寺院も掃除から一日を始めますよね。

 

あと現代は文明の利器を使うのは効率を良くすることになります。

ケルヒャー!!!!キョロキョロ

 

これをフラクタルに考えると、メディテーションでも、音楽や声明を聴きながらするが効果を上げることかな?

使えるものは使ってみて、チャレンジしながら、効果的なメディテーションを探しています。。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

もしよろしければ、こちらにも

 

 

 

 

 

 

GWに読んだ本。

面白かった。。。

 

 

 

 

旧約聖書には、悪人がでてきます。

最初は「蛇」ですけどw

 

 

 

 

 

アダムとエバに善悪の知恵の木の実をそそのかして食べさせた。

というのが定説。

作者は、本当にそそのかしたのか?と疑問を持つ。

 

ーー つまり神は、すべての木々を気前よく人間に与えたのと同じ線上で、善悪の木も与えているのだ。「食べてはならない」という禁止は、抑圧的ではない。文脈と命令内容から、これは「食べない方が幸せ」という神の善意に満ちた心から出た配慮だと考えられる。ーーー

ーー なぜ「食べてはいけない」のか。その命令について初めて議論したのが蛇であり、その対話の中で女の考えが変わっていったのだ。 ーー

 

話の流れのなかで、嫉妬が解釈の変容を招き、

 

ーー自分にとって、「おいしそうで、眼を引きつけ、賢くなるように唆」するものとなる。実の持つ意味ー価値基準が変容したのだ。そこで、神に従うのではなく、自主的に行動する決断を行うーーー

 

深いですね。。。

神は無償の愛ともいえるように様々なものを与えた。

注意も善意である。

蛇とエバの会話の中で嫉妬が生まれ、価値観の変容。

神からの自立(?)・切り離し?

善悪の木の実を食べる。

 

ちょっとしたボタンの掛け違い、見た目のスタンスの違いが、、悲劇を生む。

 

自我意識の誕生ともいえますかね?

 

 

 

 アブサロム

 

 

イスラエルのダビデ王の三男。ダビデに対して反乱を起こし、「不忠実」として「悪人」とされた。

旧約聖書は神話と歴史が混在したもの。その中からユダヤ人は、歴史と処世術を学んでいる。

ダビデ王となるともはや歴史書である。

しかし、、その経緯をみると。。

アブサロムの妹タマル(同母兄妹)がアムノン(ダビデの長男:異母兄妹)に犯された。

アブサロムはダビデに処罰を望んだ。

ダビデはそれを無視。

その後、いろいろ経緯があり、、我慢ならずに反乱を起こした。

というのが史実のようである。

 

旧約聖書はダビデを偉大な王として担ぎ上げる意図もあるかとおもうし、ダビデが周辺諸国とバランスをとるという政治的な判断として、アムノンを生かしておく必要もあったようである。

 

当時のイスラエルの戒律では、懲戒の対象であるアムノンを処罰しなくてはならないところ、ダビデはアブサロムに説明なしに無視。義憤にかられたアブサロムも否定できないであろう。

 

 

 読感

読んでみて、面白かった!

旧約聖書は読んだことがないし、この中で出てくる人物の半分は知らなかった。

でも我々が教えてもらった話とは違うことが多いとの実感。

 

ほかの歴史書、神話も、様々な解釈がありますし、時代によって歴史上の人物の評価も変わりますよね。

 

私が幼いころは豊臣秀吉が人気ありましたけど、、今なら、徳川家康のほうが人気が上がってきているんじゃないでしょうか?(松潤効果?)

なんといっても260年間戦争しなかったことは、後の歴史とくらべて評価すべきでしょうね。

 

善悪の木の実を食べたことから、、歴史が始まったwww

自我意識が生まれて、、ジェットコースターのような世界が形成されたのでしょうか・・・

 

今ある世界の常識、、、

 

すべて疑ってみるとか、、

一度まっさらな気持ちで眺めてみることが大切かもしれません。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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