眼鏡の影響について、以前ブログに投稿しています。

 

 

 

眼鏡を架けるとそれだけでも脳に緊張を与えます。

 

いままでの眼の使い方が誤っていた所為もあり、架けざるを得ない状態ではありますが、ヨガ、メディテーションを行っていると、いかに緊張を与えることに気づかされます。

 

それで、いまは、なるべく架けないようにしています。

 

そうすると、架けた時の違和感がよけいに感じられ、架けたくなりますが、、

日常生活や、仕事をするうえで眼鏡を使うことを余儀なくされるという、ジレンマに陥っておりますwww

 

先日、仕事の関係で、アジアの国々の方とミーティングをすることになり、いろいろな話をしていました。(まぁ、仕事関連の話題が中心ですが、、)

 

ネットを介して、

ヨーロッパ系白人、中央アジア系、韓国人、中華系シンガポール人、インド人、日本人、、

こういう会議をしていると、やっぱり、世界の多様性を感じる場面でもあります。

 

そこで一人のインド人(正確にはインド系オーストラリア人)の瞳が気になってしまいました。。

 

まぁ、美人な方ではありますけどwww

それではなく、その人の瞳が、、

 

澄んでて、力みがない

 

発言もクレバーであり、会議に参加している人への気配りもできている。

 

ハタと気づいたのは、

 

彼女は眼球に力をいれていない。あるがままを見ている。

それをそのまま、自然に対応して、適切なコメントを発する。

 

自分の感じですけど、、

 

こういう感じの瞳(眼球)の在り方にしたいなぁ

 

と思ったり。

 

で、ちょっとやってます。

眼鏡を架けているのもあり、

無意識で力が入っている状況を

意識して、眼球を緩める。

 

ちょっとぼやける感じではありますけどwww

 

そうすると、視神経も力みがなく、そのまま脳への力みが伝わらない。

 

脳への影響もよいようです。

 

角膜は濁り、結膜は充血している自分の瞳www

 

まずは、眼球全体から力を抜き、さわやかな瞳になるよう

 

日ごろから心掛けることを始めます!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

もしよろしければ、平和への祈りでアジアの国を歴訪しませんか?

 

 

ゴールデンウイーク中、それなりに本を買って多読してみました。

その中で一つ。

 

呼吸法のパターンとして、よく言われるのが、胸式呼吸と腹式呼吸。

 

 

胸式呼吸は、

 

胸骨を上下に動かし、肺を膨らませたり、萎ませることで空気の循環を図ります。

この場合、気持ちが上に行きやすいから、瞑想ではあまり勧められませんね。

ただ、目的をもって、💛に意識を持っていくなら、アリの方法でしょう。

 

通常、おすすめされるのは、腹式呼吸。

 

 

腹式呼吸は、

 

お腹を前後に動かし、横隔膜を上下させることで、肺を膨らませて空気の循環を図ります。お腹に意識がしやすいので、臍下丹田や、ムーラーダーラチャクラ、スワーディシュターナチャクラへ意識を集中するには、好ましい呼吸といえます。

とくにメディテーションを始められた方にはこちらから入られる方がよいかと考えます。

 

どちらも、呼吸としては無意識で行う部類の呼吸ですので、ちょっと意識してい呼吸を継続すれば、簡単にできるようになりますね。

 

呼気と吸気の転換のタイミングで、力が入りやすい感じがします。

なので、円環するイメージで呼吸をするように指導されることが多いかと思います。

なるべくスムースな呼吸として、力みがないように。。

呼吸の感覚が長くなればなるほど、これが難しい。。

徐々になれていくしかないかもしれません。

 

 

新しい呼吸法

 

そこで書店でぶらぶら本を眺めていたら、目に留まった本がありました。

 

 

中村さんが独自に編み出した呼吸法が、、

 

「密息」

 

(というより古来よりあったのではないかと思いますので発見・公開したものというところでしょうか)

 

中村さんは、尺八の奏者であり、武道の心得を持っておられるようです。

武道というのは、呼吸を見限られると、負け(死)につながります。

いかにして、呼吸を悟られずに、呼吸を継続するかということを念頭に置いている呼吸であり、中村さんは、日本人に合う呼吸法ではないかという提案をされています。

 

この密息は、イメージとしては、横隔膜だけを上下させ、胸も腹も動かさないものです。

腹は突き出すかたちで(膨らませたまま)、胸も動かさない。

そうなると、横隔膜の上下だけで呼吸するほかはありません。

 

確かに、カラオケなんかで歌を歌う時、下腹に力が入ったほうが、音程も安定するし、音量も大きくできます。ハイトーン系の歌を唄う場合、、特にw

(尺八演奏にも通じてますね)

 

面白そうだったので、さっそくチャレンジ!

 

臍下丹田にかなり意識が集中できます。

それをベースに、、

ムーラーダーラ、スワーディシュターナチャクラへの意識もできるようです。

他の呼吸法よりも意識しやすい(他の部位や想いに飛びにくい)と思います。

 

ただ、、横隔膜の固さに気づいてしまいました。

横隔膜が柔軟でないため、肺に入れられる空気の量が、腹式呼吸より入らない。

(腹式呼吸の場合、むりくり横隔膜を下げるような感じなんでしょう)

入れるためには、身体全体に力みが出る。

慣れるまで(横隔膜が柔らかくなるまで)は、しばらく呼吸を意識する必要があるかと思いますが、継続してみます。

 

結構いい呼吸法ではないかと思います。

ヨガでも、 ウディヤナバンダで内臓・横隔膜を刺激することをしますね。

これは、 ウディヤナバンダを呼吸の中で実行するもののような感じ。

その意味では一石二鳥な呼吸法ともいえますね。

 

もう一つ、メリットとして、マニプーラチャクラへの意識もしやすい、刺激を与えるものかと思います。

 

ということは、下3つのチャクラへの刺激という効果も期待できるものと思います。

 

また、暫くして、効果について書いてみたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

こちらは、個人のサイトです。。。

 

 

 

 

 

 

 

しばらくぶりに、身体についてブログします。

肩関節・頸椎の凝りからかなり脱却してきています。

肩関節が柔らかくなってきて、いろいろポーズもできるようになってきました。

 

 

後ろで握手のポーズ(ゴムカーサナ)

 

 

肩回りをなるべくほぐすようにしていたら、できるようになりました。

 

もう一つ

後ろで合掌のポーズ(リバースナマステ)

 

 

これも、ゴムカーサナができるようになって、ちょっとチャレンジしたら、できました!

 

やや、右肩の古傷もあり、右肩周りはスムースにいかないところはありますが、始めた頃、、まったくできなかったことからすれば進歩ですし、ほんと、肩回り、首回りが楽になってきましたね。

また、逆に力が入っているな、とすぐに気づくので、その時は、肩回しをしたり、この二つのポーズをします。

(背中がボキボキいったりしてwww)

 

そして、それに呼応するかのように、

股関節も柔らかくなってきました。

凝っている部位がわかるんですね。

骨盤にくっついている筋肉の一部が固くなっている。。。

それをゆっくりストレッチをかけ、ほぐす。

左右を均等に緩め、、、、

 

と言っているうちに、膝裏が凝ってる。

すーーっと伸ばして、じわーと伸びるの感じる。

 

おお、気持ちいい!

 

内ももの筋も柔らかくなってきて、現在160度ぐらいまで開くようになりましたー

(おっさんのわりには開くでしょ!w)

 

そのうち180度行けるかな?w

 

そして、足の指も緩んできました。

 

MP関節=中足指節関節 部分です。

MP関節部が緩み、全体として広がり、

5本の基節骨がピタリと地面に着く感じになります。

 

MP関節って、身体全体からすると、肩関節から頸椎になりません?

 

普段靴を履いていると、どうもMP関節が締め付けられ、固くなります。

そこが緩んで、基節骨で地面を蹴っている感じになります。

 

反射区といわれるものでしょうか?

歩き方も、足裏が緩むことで、変わってきていると思います。

 

私の場合

 

肩の柔軟 → 腰の柔軟 → 足指の柔軟

 

と繋がりました。(連鎖反応というものでしょうか?w)

 

ひょっとしたら逆もありかもしれませんね。

 

足指をほぐす → 肩・腰の柔軟

 

なので、肩や腰で固くなっていらっしゃる方は、そこがなかなか解せないという状況では、足指(手指)をほぐすと効果があるかもしれません。

 

 

足指が柔らかくなって、地面にしっかりと足をつけ、歩くということを感じると、、

 

なんだか、

地球と繋がっている

気になります。

 

皆様、身体をほぐして緩め、裸足で地球を歩いてみてみませんか?

 

きっと、いい気分になりますよ。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

いつも参考にさせていただいております。 神寄木 賀集 さんのブログ

ほぼ毎日、ブログを投稿されており、そのエネルギー(情熱)にはほとほと関心しております。(ブログを書く時間が本当にあるのでしょうか?寝ていない?)

 

一つ一つ、言葉を選びながら、懇切丁寧に説き(解き)、

そしてそれを毎日違う言葉で紡ぎ、

我々に自我の観点から、観察者(創造者)の観点、そして創造主に統一していくことを、、

読者に響くように、、、

切なる願いとも思えるその言の葉の力。。。

 

そこに無限の泉があると思えます。

 

そして、私自身は、神寄木さんの言葉を信じ、そこにあると思っていますが、まだまだ、その域に達することができず、試行錯誤をしている次第。

 

(一部カトペさせていただきますキョロキョロ

 

そして実は「足りない」のではなく、
創造場の「場違い」があるのです。
「有限の観点→無限の観点」へと
切り替える必要があるということ。
 

「物理の有限」と「意識の無限」。

 

「 師 」とはいつも スピリット自身です。
つまり「他者」に映された「わたし」自身。

 

「コントラスト」を使った幻想世界の終焉は
未知へ挑む体験の再生の中に存在する。

 

(カトペ終わりニコニコ

 

この神寄木さんの言の葉は、私の心に刺さります。

あるとわかっているが、なぜか、そこに到達できていない自分がいる。

そこに歯がゆさを感じながら、少しずつでも、幻想世界を崩壊させよう!

幻想世界であることを腑に落とすことにどんどんチャレンジしていこうと思っている次第。

 

お読みいただいた方は神寄木 賀集 さんのブログにお立ち寄りください。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。愛

 

 

 

いろいろ探索している内に、一冊の本に行き当たりました。

 

なり、その前のブログをご覧になった方なら、「たどり着いたのねー」と思われるでしょう。

 

おすすめの本です。

 

 

若きメディアアーティストであり筑波大学准教授。

そして落合信彦さんのお子様。

この本は5年前に書かれた本。いまの時代を予言している本でしょう。

うーん、すごい人が日本にいますね。(よかった!)

 

 

(ここからは私の読書感となります)

コンピュータと人間が融合していく。その境は限りなくわからなくなる。

人間が理解できる範囲で社会を構成しようとしたが、もはや不可能。

いままで言語化が前提であった社会だったが、言語化から非言語化したプラットフォームで人間は生活をしていくことになる。

コンピュータインタフェースの進化は、ますます、言語から非言語へ進める。

知識は外部化され、必要な時に取り出すこともできるし、要望に合わせて、コンピュータによるバーチャルな体験が可能となる。また、そのフィードバックにより修正されより実感をもったものとして体験できるようになる。

 

AI+BI型とAI+VC型に社会は分化されるだろう。

*BI=ベーシックインカム

*VC=ベンチャーキャピタル

分化されるが、それを選択するのは個人に任されている。

 

個人的には、これらの型間でも循環ができる社会が望ましいと考えます。

AIが進むと必然的にBIの導入は進むでしょう。

しかし、その先、人間が、実は飼いならされた動物のようになる可能性を秘めているのも事実。

VC型では、競争という側面が続くと予想されます。元気な人間、モチベーションを維持できる人間にとって、わくわくする世界です。でも競争に疲れたら?競争に負けたら?

なので、AI+BIとAI+VCの循環ができるような社会であれば、人間としては健全な形で社会を運営できる可能性があります。(おそらく、そうなると思います)

 

現在は、キャピタリストなり国家がこの主導権を取ろうとして、競っている状況。これは従来の資本主義のそのまま踏襲し、将来の覇権を取り、その利益を享受しようと目論んでいるものでしょう。

 

落合さんは、その目論見の実現は難しく、新たな資本主義と民主主義を構築することになると。

その時、東洋的な思想、日本的な思想が大きく影響するのではないかと。

 

そこに二つのキーワードを挙げられています。

「オープンソース」

「ブロックチェーン」

 

いまのコンピュータシステムの大半のプログラムはオープンソースに依存している。

オープンソースの基盤は、覇権に組み込むのは難しい。多くのエンジニアが構築した基盤であり、それは独占することは不可能。(OpenAIはいろいろ資本が入っていますけどね。。しかし、ある意味ブラックボックスであり、エンジニアの協賛がなければ維持できない。つかもうとしても陽炎のようにつかめないでしょう。)

そして、データの保証をするためのブロックチェーン。。個の資産を保証するもの。これなくして、個人の価値なり、産生物の代替になりえない。そして改ざんを阻止します。

ブロックチェーンもいろいろな方式がありますが、これももはや独占するまでコントロールできるものではないでしょう。

 

人間が主、機械が従という価値観(これ自体、人間間でも主従関係を構築してしまう)

 

から

 

人間と機械(コンピュータ)が協働することが前提での価値観

 

へのシフト

となるでしょう。

 

「コンピュータが推し進める全体最適化は「死の概念」や「個人の幸福」といった人間の倫理観を超越している。」

 

「この世界には、「インターネット的な時間」と「生物学的な時間」が存在している。数千年生きるかもしれない前者から見れば、人間の1個体の生存時間は取るに足らない問題でしかない。」

 

「シンギュラリティ以降、機械が人間を滅ぼすという議論は、そもそも問題として成立しない。インターネットやコンピュータが人類に反抗しようがしまいが、私たちの生存時間においてほとんど意味を持たない「誤差」にすぎないのである。」

 

「現在の世界の枠組みを超越さうるための「新しい<自然>」の発明、これはその始まりに共有されるべき新しいビジョンなのだ。

 

ほんの一部を抜粋してみました。

 

私の中でのAIとの向き合い方についての疑問を解き明かすような一冊でした。

ほとんどすべてのコンテキストが意味のあるもので、腑に落ちるような気持ちにさせてくれました。

 

AIについて興味のある方は、たんに ChatGTPで遊ぶというだけでなく、AIが人間社会に与える大きな影響について、関心を持っていただきたいです。

欧米のメディアがこぞって話題に取り上げ始めたのは、この辺りの恐怖があるのでしょう。

特に西洋思想をベースになっている現代社会ではインパクトが大きいでしょう。

それでもなお覇権主義的な動きをしようと目論んでいる組織もあることは事実です。

それがいままでやってきた思想・成功パターンですから。。

そういう思い込みがあるのです。
でも、それだと一部の人間にしかユートピアを提供せず、社会全体をディストピアしています。

それは歴史の繰り返しです。

いま求められているのは、それさえ、脱構築することです。

そして、すでに、あらたな思想の枠組みが台頭し始めています。

 

 

 瞑想と

 

メディテーションによる解脱も、自分を観想することによって、個人の内面で、脱構築し、真(新、神、信)の姿を非言語化のまま体感することではないかと思います。

 

AIによる脱構築は外部から真(新、神、信)の姿を言語+非言語での体感を実現させる可能性があるものです。

 

アプローチは違えど、本来の姿に行くプロセスと考えると未来は明るいでしょう。

 

 

 

個人サイトで投稿をアップしました。よろしければ、覗いてみてくださいね。