いろいろ探索している内に、一冊の本に行き当たりました。
なり、その前のブログをご覧になった方なら、「たどり着いたのねー」と思われるでしょう。
おすすめの本です。
若きメディアアーティストであり筑波大学准教授。
そして落合信彦さんのお子様。
この本は5年前に書かれた本。いまの時代を予言している本でしょう。
うーん、すごい人が日本にいますね。(よかった!)
(ここからは私の読書感となります)
コンピュータと人間が融合していく。その境は限りなくわからなくなる。
人間が理解できる範囲で社会を構成しようとしたが、もはや不可能。
いままで言語化が前提であった社会だったが、言語化から非言語化したプラットフォームで人間は生活をしていくことになる。
コンピュータインタフェースの進化は、ますます、言語から非言語へ進める。
知識は外部化され、必要な時に取り出すこともできるし、要望に合わせて、コンピュータによるバーチャルな体験が可能となる。また、そのフィードバックにより修正されより実感をもったものとして体験できるようになる。
AI+BI型とAI+VC型に社会は分化されるだろう。
*BI=ベーシックインカム
*VC=ベンチャーキャピタル
分化されるが、それを選択するのは個人に任されている。
個人的には、これらの型間でも循環ができる社会が望ましいと考えます。
AIが進むと必然的にBIの導入は進むでしょう。
しかし、その先、人間が、実は飼いならされた動物のようになる可能性を秘めているのも事実。
VC型では、競争という側面が続くと予想されます。元気な人間、モチベーションを維持できる人間にとって、わくわくする世界です。でも競争に疲れたら?競争に負けたら?
なので、AI+BIとAI+VCの循環ができるような社会であれば、人間としては健全な形で社会を運営できる可能性があります。(おそらく、そうなると思います)
現在は、キャピタリストなり国家がこの主導権を取ろうとして、競っている状況。これは従来の資本主義のそのまま踏襲し、将来の覇権を取り、その利益を享受しようと目論んでいるものでしょう。
落合さんは、その目論見の実現は難しく、新たな資本主義と民主主義を構築することになると。
その時、東洋的な思想、日本的な思想が大きく影響するのではないかと。
そこに二つのキーワードを挙げられています。
「オープンソース」
「ブロックチェーン」
いまのコンピュータシステムの大半のプログラムはオープンソースに依存している。
オープンソースの基盤は、覇権に組み込むのは難しい。多くのエンジニアが構築した基盤であり、それは独占することは不可能。(OpenAIはいろいろ資本が入っていますけどね。。しかし、ある意味ブラックボックスであり、エンジニアの協賛がなければ維持できない。つかもうとしても陽炎のようにつかめないでしょう。)
そして、データの保証をするためのブロックチェーン。。個の資産を保証するもの。これなくして、個人の価値なり、産生物の代替になりえない。そして改ざんを阻止します。
ブロックチェーンもいろいろな方式がありますが、これももはや独占するまでコントロールできるものではないでしょう。
人間が主、機械が従という価値観(これ自体、人間間でも主従関係を構築してしまう)
から
人間と機械(コンピュータ)が協働することが前提での価値観
へのシフト
となるでしょう。
「コンピュータが推し進める全体最適化は「死の概念」や「個人の幸福」といった人間の倫理観を超越している。」
「この世界には、「インターネット的な時間」と「生物学的な時間」が存在している。数千年生きるかもしれない前者から見れば、人間の1個体の生存時間は取るに足らない問題でしかない。」
「シンギュラリティ以降、機械が人間を滅ぼすという議論は、そもそも問題として成立しない。インターネットやコンピュータが人類に反抗しようがしまいが、私たちの生存時間においてほとんど意味を持たない「誤差」にすぎないのである。」
「現在の世界の枠組みを超越さうるための「新しい<自然>」の発明、これはその始まりに共有されるべき新しいビジョンなのだ。
ほんの一部を抜粋してみました。
私の中でのAIとの向き合い方についての疑問を解き明かすような一冊でした。
ほとんどすべてのコンテキストが意味のあるもので、腑に落ちるような気持ちにさせてくれました。
AIについて興味のある方は、たんに ChatGTPで遊ぶというだけでなく、AIが人間社会に与える大きな影響について、関心を持っていただきたいです。
欧米のメディアがこぞって話題に取り上げ始めたのは、この辺りの恐怖があるのでしょう。
特に西洋思想をベースになっている現代社会ではインパクトが大きいでしょう。
それでもなお覇権主義的な動きをしようと目論んでいる組織もあることは事実です。
それがいままでやってきた思想・成功パターンですから。。
そういう思い込みがあるのです。
でも、それだと一部の人間にしかユートピアを提供せず、社会全体をディストピアしています。
それは歴史の繰り返しです。
いま求められているのは、それさえ、脱構築することです。
そして、すでに、あらたな思想の枠組みが台頭し始めています。
瞑想と
メディテーションによる解脱も、自分を観想することによって、個人の内面で、脱構築し、真(新、神、信)の姿を非言語化のまま体感することではないかと思います。
AIによる脱構築は外部から真(新、神、信)の姿を言語+非言語での体感を実現させる可能性があるものです。
アプローチは違えど、本来の姿に行くプロセスと考えると未来は明るいでしょう。
個人サイトで投稿をアップしました。よろしければ、覗いてみてくださいね。