[A] Across The Universe -34ページ目

大きく息を吸う

仕事の内容が変わってもうすぐ丸一年。
長かったな。
本当に辛かった。

仕事の辛さだけなら耐える覚悟は出来ていたが、上司との人間関係の問題は初めて経験する辛さだった。
新参者に対する見せしめの叱責、恫喝、これまでのキャリアを全否定するかのような言動。
熟睡できた日は一日もなかった。
夜中に何度も目が覚め、体は疲れたまま、自分を奮い立たせながら職場へ向かう毎日。
週末も、せっかくの日曜なのに月曜のことを考えると朝から憂鬱で食欲がなくなる。
もう俺はダメなんじゃないか、と毎日思いながら一年が経った。
最も厳しいセクションだという認識はあったが、想像以上の過酷さ。
そりゃみんな体壊すはずだ。

そんな状況が4月から少し変わる。
平日の夜に一度も起きずに眠って職場に向かったのは一年ぶり。
きっとこの経験は今後の為に与えられた試練。
如何に傲慢な態度でこれまで仕事をしてきたか、反省することも出来た。


神様、なんとか、
なんとか一年耐えることができました。
ありがとうございます。

できれば、こんな経験は一度きりにしていただけませんか。

愛車

実は車が大好きだ。
読書も音楽も好きだが、最も幸せなのは車に乗っている時。
昨年から車の買い替えを考え始めたが、検討するまでもなく今年1月に納車されたのはレガシィGT
前車はNAのTS-Rだったが、2台目のレガシィで憧れのターボ。
子供の送り迎えの際に、扱いにくさは多少妻に迷惑をかけるが、車の基本性能を考えるとこの車以外に選択肢はなかった。

そんな私は、レガシィ・ネットワークに加入しており、今回はコピーを募集している。
私が考えたレガシィのイメージは

「憧れを操る」

私が子供だった頃は見ているだけでワクワクする車がたくさんあった。
国産ではスカイライン、117クーペ、トヨタ2000GT、アルシオーネ、RX-7。
いまはミニバン全盛。
車の基本のワクワクが置き去りにされて久しい。
そんな中で、ワクワクと安全性と速さを兼ね備えたレガシィはオアシスのような車だ。

スバルさんには、トヨタとの提携後もこれまで通り愚直に自らの車作りを進めていただきたいと願っている。
それがスバリストの願いだ。


[事務連絡]
LEGACYステッカー希望します。

計算力を強くする / 鍵本聡

講談社ブルーバックスはあまり購入しない分野なのだが、「小学生から使えるテクニック」とのこと。
娘の計算力アップにつながるのであれば、と読んでみた。

帯に出ている例題。


14×45=

39×41=

24×0.25=


この様な問題をそれぞれ5秒以内に暗算で解くことができるだろうか。
ちなみに私は無理だった。
こんな問題5秒で解けるわけないだろう・・・

しかし、この本を読むと本当に「簡単に」解くことが出来るようになるのだ。
読んでしまった後では、なぜこういう考え方が今まで出来なかったのか、と思う。

例えば
14×45は
(7×2)×45に分解した後、7×90にしてしまえば簡単に暗算に持ち込める。

なるほど、まさしく視点の変換である。
確かに一部は小学生にも応用可能なテクニックがあるが、基本的にはある程度の「算数」の地頭が出来上がっている中学生以上が対象だろう。
数学アレルギーの元となる「ひらめき」は必要なく、どちらかといえば文型の頭で「覚えて、論理的に展開する」能力が必要だろう。

ちょっと脳トレしてみたい方はリーズナブルな840円。






鍵本 聡
計算力を強くする

自分の小さな「箱」から脱出する方法 / アービンジャーインスティチュート

日本ではなぜ卓越した物語仕立てのビジネス・人生啓蒙書が出ないのだろうか。
この本も本棚に置いて何度も読み返したい本の仲間入りをした。
絶賛されながら絶版となり、一時8,000円以上の値段がついた「箱」の再販本。
期待に違わない素晴らしい内容だった。
ビジネスのみならず、日常生活に適用できる内容。

自己欺瞞を「箱」と言うメタファーに置き換え、非常に分かりやすい。
いかに自分が「箱」の中から物事を考え発言していたかを思い知るだろう。
心当たりのある実例がこれでもか、と出てくる。
おそらくこれからも自分は「箱」の中から発言し続けるに違いない。
この本を一度読むだけでは箱からの脱出は難しい。
何度も繰り返し読むことによって、自分が箱のどの位置に存在しているかをつかめるようになるだろう。

簡単だが非常に難しい
「相手の立場に立って考える」
ことを分かりやすく解説する良書である。





アービンジャー インスティチュート, 金森 重樹, 冨永 星
自分の小さな「箱」から脱出する方法

福の神になった少年 / 丘修三

私がその方に初めてお会いしたのは、20年近く前の学生時代。
仙台で笹かまを食べに店に入ったところ、この方の写真があったのだ。

仙台四郎

この方が仙台四郎。
江戸末期から明治時代を生きたようだ。
知的障害があり話すことは出来なかったようなのだが、彼が立ち寄る店は繁盛するため、商売繁盛のご利益があるとして写真が飾られるようになったのだそうだ。
昨年、仙台近郊の温泉宿に宿泊した際、お土産物屋には四郎グッズがたくさん置かれていた。

そこで再び興味を持って買った本が、「福の神になった少年」
四郎さんの逸話はいろいろなところで断片的に残されているようであり、その話を収集し再構成したのものだ。
四郎さんは「ばやん」としか話さない。
そしていつもニコニコ笑っている。
おそらく、純粋な目で人を見ることが出来たため、彼が寄っていく店の人に悪い人はいなかったということなのだろう。
結果、その店は繁盛する。

「雨ニモマケズ」に通じるものがある。

人に優しく。





丘 修三, 村上 豊
福の神になった少年―仙台四郎の物語

人生に誓うものを持つ

月刊致知11月号の特集は「人生に誓うものを持つ」。

日本で初めて無農薬・無肥料でのりんご栽培に成功した木村さんが登場している。

りんごとは病虫害に非常に弱い果物のため、農薬に頼らなければ栽培すること難しいのだそうだ。
木村さんも昔は農薬を使用して栽培を行っていた。
しかし、農薬を散布すると手農薬がしみ込んでに火傷のような炎症をおこすようになる。奥さんも顔中真っ赤になってしまう。
そこで無農薬のりんご栽培を始めるのだが、5年ほど立つうちに、りんごの木は花一つ咲かなくなり、幹もぐらつくほどになってしまう。
木村さんはパチンコの店員のアルバイトをしながら、食いつなぐ。
子供たちが自分の家にお金がないのが分かっているので、給食袋をランドセルの中に入れたまま出そうとしなかった。
長女は学校で作文を書く。

「お父さんの仕事」
私のお父さんはりんごをつくっています。
朝から晩まで畑へ行っています。
でも私はりんご一個食べたことがありません。

子供にこんな思いをさせ、親を名乗る資格はない。
木村さんはとうとうある晩ロープを持って岩木山へ向かう。
木の枝にロープをかけようと投げるが、外れる。
月明かりでロープを探していると、山中にあるはずのないりんごの木が目の前にあった。
それは実はドングリの木だったのだが、虫もつかず、葉も厚い。
草も伸び放題だが、土のにおいが良い。
木村さんは土をほじくり、「これだ」と直感する。
土壌の改良から始めたのだ。

そして無農薬に取り組み始めて10年後、畑はりんごの白い花一色で埋め尽くされる。

木村さんは常々、「社会にお役に立つ仕事をしよう、そういう生き方を貫いていたらきっと道は開ける」と言い続けていた。
そして、こうおっしゃる。
「自分がりんごの木を実らせたと思ったことはありません。りんごの木が実らせてくれるんです。主役はあくまでもりんごでさ、私はただりんごが育つお手伝いをしているだけ。」


京セラの稲盛会長がKDDを創立する際に常々考えていたことは
「動機善なりや。私心なかりしか。」
だったという。
まさしく利他の心。
木村さんにも通じる話である。


「だってさ、どんなに頑張ったって自分の体にりんごはならないもんな(笑)。人間は自分を高い位置においてりんごを見てしまいがちだけれども、自分もりんごも同じ生き物だという位置に立って愛情を持って接することが大事だと思うんです」

格物致知

何度もこのblogで触れているが、私の愛読誌である月刊致知
この「致知」は広告を打たないことでも有名だ。

しかし、今日朝起きて寝ぼけ眼でいつものごとく日経を繰り始めると、なんと「月刊到知」の一面広告が出ているではないか。
どうやらこの広告は日経のみで他の全国紙には出ていないようだ。
一人でも多くの人に、この「致知」を読んでいただきたいと常々思っていたが、これで益々読者が増えるだろう。うれしいことこの上ない。
一般全国紙ではなく、日経にのみ広告を出すところもまた「致知」らしいではないか。

「致知」とは中国の古典「大学」の格物致知からとられた言葉であり、「本物の知識は、体験を通して得られる」との意味である。
到知には毎回様々な方が登場し、体験・経験され、学ばれたことを語っておられる。
一冊で何本もの講演会、セミナーに参加するのに匹敵する価値がある内容だと思っている。



話は変わる。
昨日、NHK「プライム10」に辰巳芳子さんが出演されていた。
辰巳さんはいわゆる「いのちのスープ」を手間ひまかけて作る方である。
普通であれば私が辰巳さんを存じ上げる可能性は非常に低い。
しかし、辰巳さんを知ったのも、「致知」の本年2月号に登場されていたからだ。
残念ながら番組全てを見ることが出来なかったが、想像していたより凛とした厳しさが印象的な方だった。
番組をご覧になった方であれば想像できるだろうが、「致知」2月号、「一貫(いちつらぬく)」というテーマから辰巳さんの言葉を少しご紹介する。


・食べ物というのは、命と呼応する食べ方をしなきゃダメだけれども、呼応しているかどうかを察知するアンテナみたいなものが、いまの人は弱ってしまっています。やっぱりジャンクフードのようなものばかり食べて心のアンテナがを迷わせると、感度が鈍るんじゃないかしらね。

・大事なことは、最小限度の油で野菜全体にどのくらいの影響を与えていかれるかということ。それを心掛けるから、どんな病気の人にも安心してスープを飲ませられるんです。(中略)結局私が説いているのは、野菜選び方と調理法だけなんです。その代わり鍋の蓋の裏についた露まで鍋の中に落とすんです。熱を加えて甘い味に変わってきた時の蒸気は、美味しいに決まってますからね。



あの「味の素」が辰巳さんのスープを分析したところ、加熱することによって当然消えてしまう成分が、辰巳さんのが作るスープには残っていて驚愕したとのこと。

致知を読むことにより広がり、さらに深まって行く人生。
うれしい限りである。

男親ながら、辰巳先生のスープを覚えて娘に飲ませてあげたいと思っている。

小さな人生論2 / 藤尾秀昭

愛読誌「月刊致知」の巻頭に毎号必ず載ってい藤尾社長の言葉。
月初に致知が届くと、私はまずこの文章から読み始める。
味わうように何度も何度も読み返す。
これだけ心に響く素晴らしい文章をよく毎回書けるものだと感心するが、以前藤尾社長の講演をお聞きする機会があり、その志の高さに感心し、納得した。

その文章をまとめた本が「小さな人生論」であり、これはその第二集。
数ページにまとめられた簡潔な文章の中に凝縮された思いがストレートに心に響いてくる。
松井秀喜がヤンキースに移籍する際に、川島元コミッショナーが彼に渡した本がこの「小さな人生論」だった。

選りすぐられた珠玉の言葉の数々は、何度読み返しても色あせることはない。


素晴らしい文章の中から、ひとつご紹介させていただく。



少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。殊に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。

その母親が姿を消した。庭に造られた粗末な離れ。そこに籠ったのである。結核を病んだのだった。近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は近寄らずにはいられなかった。

しかし、母親は一変していた。少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせた。コップ、お盆、手鏡と手当り次第に投げつける。青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。少年は次第に母を憎悪するようになった。哀しみに彩られた憎悪だった。

少年六歳の誕生日に母は逝った。「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、少年は全身で逆らい、決して棺の中を見ようとはしなかった。

父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。だが、だめだった。父と義母の間に子供が生まれ、少年はのけ者になる。

少年が九歳になって程なく、父が亡くなった。やはり結核だった。
その頃から少年の家出が始まる。公園やお寺が寝所だった。公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。そのたびに警察に保護された。何度目かの家出の時、義母は父が残したものを処分し、家をたたんで蒸発した。

それからの少年は施設を転々とするようになる。

十三歳の時だった。少年は知多半島の少年院にいた。もういっぱしの「札付き」だった。
ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。泣いて少年に棺の中の母を見せようとしたあの家政婦のオバサンだった。オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。死の床で母はオバサンに言ったのだ。

「私は間もなく死にます。あの子は母を失うのです。幼い子が母を別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです。憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、死んだ母親なんか憎ませていたほうがいいのです。そのほうがあの子は幸せになれるのです」

少年は話を聞いて呆然とした。自分はこんなに愛されていたのか。涙がとめどなくこぼれ落ちた。札付きが立ち直ったのはそれからである。
作家・西村滋さんの少年期の話である。

喜怒哀楽に満ちているのが人生である。喜怒哀楽に彩られたことが次々に起こるのが人生である。だが、その表面だけを掬いとり、手放しで受け止めてはなるまい。喜怒哀楽の向こうにあるものに思いを馳せつつ、人生を歩みたいものである。

その時、人生は一層の重みを増すだろう。われわれが人間学を学ぶ所以もそこにある。

中江藤樹の言葉がある。
「順境に居ても安んじ、逆境に居ても安んじ、常に担蕩々として苦しめる処なし。これを真楽というなり。萬の苦を離れてこの真楽を得るを学問の目当てとす」







藤尾 秀昭
小さな人生論〈2〉「致知」の言葉

親業 / トマス・ゴードン

親子関係に問題を感じているわけではない。
むしろ、他の家よりもむしろ良好なのではないかと感じるくらいだ。
しかし、以前から気づくと育児書、教育書の類いを購入してしまっている。

この本は世界中で読まれているゴードン博士のベストセラーの翻訳書。 
誰でも親にはなれる。でも「よい親」になるのは難しい。
だからこの本を読んで、セミナーに出ればなお結構、ということなのだろう。

対象としているのは、子を持つ親。
子供の年齢は幼児から高校生まで幅広く参考になる内容である。

ポイントは3つ。
・能動的な聞き方
・「私」メッセージの発信
・対立を解く「勝負なし法」の実践

育児書を読んだことがない人は、この本を読むことで類書を読む手間が省けるだろう。
親子の関係に限らず、人間関係の基礎となることだからだ。

「親業」は訓練講座も行っているので、親子関係に悩んでいる人は講座で訓練することで、家庭での実践に役立つだろう。


受容のもたらす効果の中でいちばん大切なのは、自分は愛されていると子供が思うその内的な感情である。他人をありのままの姿で受容することこそ真の愛の行為であり、受容されていると感じることは愛されていると感じることである。心理学では、愛されているという感情のもつ非常に大きな力についてやっと認め始めたばかりだ。それは心と体の成長を促し、心理的・身体的障害を治すうえで、私たちの知っているあらゆるものの中でも、もっともすぐれた治療効果をもつものであろう。






トマス ゴードン, Thomas Gordon, 近藤 千恵
親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方

森信三語録 心魂にひびく言葉 / 寺田一清

嫌いというわけではないのだが、「○○語録」という書物には何となく手が伸びない。
素晴らしい言葉が書かれているに違いないのだが、ただ言葉の羅列だけで背景がわからなければ、その言葉の威力が半減してしまうような気がするからだ。

この森信三先生の語録は、先生に師事していた寺田氏によるものである。
森先生の著作を数冊読んだ私にとっては、その深い言葉に再び感動しつつ、「あのフレーズだ」、「あのときの先生の言葉だ」といろいろ思い出されて素晴らしかった。

まさしく「心魂にひびく言葉」をいくつか。



・絶対不可避なる事は、即絶対必然にしてこれ「天意」と心得べし。
どうしても避けられないことは、天意、天命として心安んずるしかない。どんなに辛いことも乗り越えて魂を磨くしかない。



・人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに。
全て出会いは機縁の到来とその把握如何によるもの。もっと早い時期にこの人と出会っていたら・・・という後悔は意味がない。袖ふりあう縁を縁として気づく心が必要だ。



・人間も、金についての苦労が分かりかけて、初めて稚気を脱する。従ってそれまでは結局、幼稚園の延長に過ぎぬとも言える。
私の家は農家で、私の学生当時は決して裕福だったわけではないのだが、毎月欠かさずの仕送りの大変さを今になってやっと理解できる。40を前にしてやっと稚気が抜ける情けなさ。



・何よりも教師自身が自己に対するきびしさを確立することが、根本であって、直接、児童・生徒にきびしさをもって臨むということについては、極力慎重にしなければなるまい。
この言葉は、親として、人間としての心構えにも通じるものがある。



・「義務を先にして、娯楽を後にする」  たったこの一事だけでも真に守り通せたら、ひとかどの人間になれよう。
子供に対してもよく偉そうに「義務」と「権利」を言い聞かせたりもするが、その当人が「たまにはいいか!」などと昼間からビールを飲んで気を抜いているようでは「ひとかど」の人間にはなれないということ。反省。



森先生の著作を読んだことがある人には、先生の教えの復習として。
初めて読む人には先生の入門書として。
誰が、どこから読んでも素晴らしい言葉に巡り会えることを保証する。






寺田 清一
心魂にひびく言葉―森信三語録