クラバート・ガレージ -9ページ目

「ダイモス」中井三郎氏復活!その1

どうも、ラテックス竹添です(←嘘)

ビオゴジに手間取ってて、えっらい遅くなりました。
WF紀行…スゴイな、1ヶ月遅れだ(笑)の一環として書いていたのですが。
まぁ紀行云々よりもうこの夏はコレですわ。

「ダイモス」中井氏完全復活!!!!

しかもド直球ストレート「キンゴジ」!






なんといきなりのダイモス中井氏の大復活。
2010年の個人作品「10㎝サイズ ナメゴン」以来、5年ぶりの新作!

まぁ各ブログやサイトで既に写真はご覧になった方も多いかと思います。

そして、この記事を纏めるなら先ず前提も必要になってきます。

中井氏のラテックス造型に関しては、個人的に大変に思い入れがあり、拙ブログでは2011年に、パオパオさんのゴジラ掲示板や、ガレージ界の名著「造形怪物怪獣大全集」の真似っこ的なインタビュー&業績を纏めをさせていただいているのです。


そこで、過去作品のリストの完全版を作成しました。

先ずはそれをどうぞ!

つづく

大島ゴジ

まぁバタバタしてるんですけど、新作ちゃんと造ってます。

いわゆる「海ゴジ」と「大島ゴジ」の違いを分析してました。これ、ゼッタイ違うよ(siosai30vさんとの℡でも確信しましたよ 笑)。「大島ゴジ」は首あげてるからそう視えるのかと思ってたけど、少なくとも顔のラインは絶対違う。小学校4年の時に「ナンブさん(地元の駄菓子屋)」で視た「大島ゴジ」でいきます!

そ~いや「ビオゴジ」は同級生のアキちゃんに「今度のゴジラの敵は口みたいな怪獣だよ」と教えて貰ったのだった。憶えてないと思うけど(笑)
小学4年時の思い入れで造ります!

ウチ(クラバート・ガレージ)の色的に平成はどうなんかとも思うけど…まぁ井上さんもあのシーンやってたし、30cmの「ベツワク」(84からは怪獣じゃないから)でやりますんで、ギリギリ許してください(笑)

乱歩奇譚

「乱歩奇譚」意外にイケる。アニメとかキツイなぁ…て思ってたけど。

乱歩は都会派なんで勘違いレトロは大失敗するのだ(成功しているのは陣内版明智とRAMPO、大傑作実相寺・屋根裏くらいかな)。

「映画秘宝」誌的に評価の高いのは石井輝男の「恐怖~」だが、全然解ってない。裏日本、日本海が似合うのはもっと土着的な、それこそ横溝や泉鏡花でしょうよ。てことでアレは寺山修司系な。

「天知の土曜ワイドの明智小五郎」は当時の最先端な都会に事務所を構えてたわけで、いまだに明智と言えば天知なのはその観点が存在するからだ。

2015年現在は最先端なものってきっとアニメになるのだろうし、立ち位置には意外と天知明智の後継者かもなぁ…とか思ってます(笑)

やたらと同性愛的な描写が多いのも戦前に「美少年愛」をしてた乱歩には合う。

その意味でも換骨奪胎とも言えるし、そもそも戦前のラノベだろ?乱歩の通俗小説って。
乱歩は都会の孤人なのである。





で、乱歩奇譚のOP歌詞の韻踏み、日本語ラップ駄目な俺でも結構好きだぞ。

ラップの輸入はJ-POPのアレンジの一環くらいの立ち位置が丁度良いとのではないか。
せいぜいm-floとかそのくらい。

かのZeebraは音や歌詞以上に、ストリートシーン自体を輸入しようとしたんだと思う。ゆえに、暴力性を顕著に打ち出した(ドラゴンアッシュKJとの一件もその延長線上にあると考えれば納得できるのではないか。シーン輸入ゆえの『必然』だったわけだ)。


ま、日本人には暴力性よりも内省がよく似合うと思うよ。


スピードと摩擦(期間生産限定アニメ盤)/SMAR

¥1,404
Amazon.co.jp

怪獣ガレージの本質を視る の巻

久々の更新で長いです。アルバム感想のつもりが、これって怪獣ガレージじゃん!って気付きも入っちゃって更に長いものに…(笑)


先述したサントラの微々たる違和感って何かしらん、と考えた時に一番例えやすいのが、私にとってはガレージだったりしまたもんで(笑)

一言で言うなら

私にとってのカミサマである井上さんのキットって、情報としての再現性は低いかも知れないんですが、内包するものがもの凄く「怪獣」なんです

以下はいつもの長文うん蓄です。

したがって、カミサマのキットは外の情報云々以上に、ヘタすれば実物のぬいぐるみ以上に「怪獣」に観える。「映像の中でぬいぐるみが怪獣と成る」と仮定した場合、そちらを捉えていると言い換えても良いかも知れません。

模型でも絵でもそうだと思いますけど、何かを表現するということはその人の精神性が「絶対に」反映される。

そして、ここが面白いとこなんですけど、ゴジラや怪獣といった「既存のもの」を再現するガレージにこそ、特に顕著に表れる。



この点に関しては、造型初めてそろそろ5年なんで、実感として痛感してます(笑)。

そして、私は浅井さんのガレージも凄く好きです。
そもそも浅井さんが現れなかったらガレージを辞めてたと思うし、10代後半から20代前半を生き延びられなかったと思っています。命の恩人としても感謝してます。




「その辺りの個人的な恩義を完全に抜きにして」、浅井さんのガレージを通して視えてくるものってあるんですよ。

あの人は確実に「楽しさ」の精神性で造ってる人です。
カミサマ全盛期の初期ガレージキットに存在した「楽しさ」の部分と「遊び」の部分。
「造っていて楽しい、いや、それ以上にそうしてもこれが“欲しいんや”俺は!」


それを強烈に持ち合わせてる人です。

まぁそれと同等レベルで私や先輩への嗜虐趣味を持ち合わせ…ゲフンゲフン。

大魔神武神像の佇まいの荘厳さ。最初のバランの「野寺坊」のような幽玄さ…あげていくときりがないですが…。そこに私は圧倒的に惹きつけられます。マンダなんか実は本編ともかなり違いますが、私はスチール写真より、浅井さんのマンダが最もマンダの本質をかもしだしているように思います(大変失礼な物言いになりますが、轟天に関しては空間構成の為にあの表現をもって付随しているとすら感じます)。先にあげたキット群も同等です。バランは実物以上にバランです。情報の再現ではなく、存在としての再現。

結局、バランス云々、ディティール云々の問題じゃないんですよ。対象物の本質が宿っているか、否か。詰まる所、怪獣愛があるか、ないか、そこが重要なんです。

そしてそれは、勿論皆さまも解ってることなんです。
何故86年に撮られた熱海城のジオラマが本編かと見紛うのか、マンダが自身の認識以上にマンダなのか。

スピルバーグが良いことを言っていましたよ。「この砂漠をCGで再現しても観客は気づかないだろう。でも、観客には解るんだ。」

視えない部分にこそ、神は宿る。

聴こえない部分にこそ、神は宿る。



怪獣ガレージの本質を視る(新ブレランサントラ感想編)

ブレラン新サントラの感想書いてたら怪獣ガレージの本質とかまで入ってきちゃったので2つに分けます。

えーと、結論から言いますとですね…「ようここまで拾ってきたわ(笑)」ってとこです。



絶対買う価値はあります。安いしね。
音情報の再現率は圧倒的です。

今本編と合わせて聴き比べてますけど、たぶん、ヴァンゲリスの正規盤より実際の映画のスコアに近いですよ。

正規盤に収録されなかったバッティ戦のBGMの再現はほぼ完ぺきに近い(正規盤に収録されなかったゆえの『補完』の気持ちが働いたのか)。
劇中、プゥ~ンピロピロピロみたいな音や、ドコドコした銅鑼の音が聴こえますよね。アレも全部入れてます。

ただ、アルバムとして再編集してあるヴァンゲリス盤の方が、たとい音数が少なかろうと、シーンと音があってなかろうと、トラック数が少なかろうと、ブレードランナーのサウンドトラックとしては本質に近いように思います。
「本人なんだから当たり前だろ!」って言われそうですけど、繰り返しますが、情報量、再現性は今回の盤が近いんですよ。

じゃあ何が違うのか。中身です。

ヴァンゲリスの精神性と、今回の盤を再現した方の精神性です。

視覚以上に敏感な感覚である「聴覚」であるが故に、聴こえる範囲内でもその精神性は出てます。

前述したように、「執拗なまでに拾ってきた細やかな音の響き」が若干耳に残ります。
ここから想像できる送り手の精神は、「ここまで拾ってきたぜ」って自意識が僅かながら出てきて…その辺りでファンサイドの心理も作用、上手くバランスをとって微調整…てな感じかな。

アルバムとしてコンセプトの近い「JAWS新録盤(完全盤ではなく、2000年ころに出たやつ)」ほどの嫌味は感じられない。

この点において、送り手の真摯なスタンスは感じることが出来ます。
ヴァンゲリスへの敬意と、それ以上にブレランのファン心を感じます。

誠実な方なんでしょうね。

アルバムとしての、そして楽曲としての完成度、雰囲気、聴きやすさを重視するアーティスティックなヴァンゲリス盤、映画のスコアを映画のまま聴きたいコレクター盤。

神の手による編集盤と、ファンの手による完全再現盤と言い換えても良いでしょう。

ここまで来るともうあとは「好み」かな。

これもまたガレージらしい纏め方ですね(笑)。

怪獣編につづく!